[書籍紹介]
都築政昭氏による、
映画「生きる」の制作秘話の集大成。
先に紹介した、「黒澤明と『天国と地獄』」の次の書籍。
映画「生きる」は、1952年に公開された作品。
無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、
胃癌で余命幾ばくもないことを知り、
己の「生きる」意味を探っていく姿が描かれている。
公開時、私はまだ5歳の学齢前だったので、
リアルタイムでは観ていないが、
1962年4月15日、
渋谷道玄坂上の映画館テアトルハイツで、
「酔どれ天使」との2本立てで観た記録が残っている。
ただ、それ以前に、まだ小学生の時、
渋谷の全線座で観た記憶がある。
当時、途中入場は当たり前の時代で、
主人公の渡辺勘治が医者の診断を受けた後、
呆然として町を歩き、
はっと気づくとトラックが目の前を走っており、
その途端、無音だったのが、
ガーッという町の騒音が入り込んで来た
ところで入場した記憶があるから、
確かだろう。
小学生には難しい題材だったと思うが、
その数年後にまた観ているくらいだから、
子ども心に印象が深かったのだろう。
その後のニュープリントでの公開時も観たし、
家ではDVDで、繰り返し観ている。
そのわりに裏話はあまり知らなかったが、
本書で、へえー、そうだったんだ、と思わされたところが沢山あった。
以下、その一部を列挙する。
○黒澤明はロシア文学が好みで、
「生きる」の前作は、ドストエフスキー原作の「白痴」。
しかし、失敗作であったことは、本人も認めている。
とにかく長過ぎたため、会社によってどんどん切られた。
ついに「これ以上切るなら、フィルムを縦に切れ」と叫んだという。
カットされた前半部分、ストーリーを説明する字幕を入れるなど、
ちょっといびつな形で公開された。
もし、ネガが残っていて、
ティレクターズ・カットでも出たら、大変貴重なものになっただろうが、
ネガも失われている。
○「白痴」を松竹で撮ったのは、
東宝争議の間、東宝を離れていたからで、
大映では「羅生門」を撮った。
その「羅生門」がヴェネチア映画祭でグランプリを取ったことから、
争議が終わり、古巣東宝に戻っての「生きる」には、
期待を一身に受けての緊張感満々だった。
○脚本は小国秀雄、橋本忍との共同脚本。
箱根の宿にこもり、黒澤と橋本が書いた脚本を
小国が判定する、という構造だったという。
○根底にトルストイの「イワン・イリッチの死」があった。
判事のイワン・イリッチが死病にかかり、
その死の床で、生きる意味を問い、恐ろしい孤独に責め苛まれる。
そして、最後に神の恩寵に気づいて死を迎える。
(なお、この本での情報ではないが、
当初題名は「渡辺勘治の生涯」だったが、
黒澤が「生きる」に改めたという。
テーマが明快な、いい題名だ。)
○主人公の死病は胃ガン。
当時は死の宣告に等しかった。
また、当時は告知をしないことが常識だった。
今とは状況が違う。
○映画は次の様な構成で作られる。
・市役所での勘治の生活。
縄張りに縛られ、仕事をしないことが仕事という状態。
黒江町のおかみさんたちの、下水溜まりを何とかしてほしい、
という陳情も、お役所内でたらい回しされる。
・勘治の内臓の疾患が我慢できないほどになり、
無欠勤の記録を破って、医者の診断を受ける。
医者は「軽い胃潰瘍です」と言うが、
病院の待合室で、おせっかいな人が告げた胃ガンの症状から、
勘治は自分が胃ガンで余命いくばくもないことを悟る。
・しかし、息子には話せない。
妻を亡くして男手一つで息子の光男を育てたが、
今は断絶の日々だ。
その上、後で出て来る若い女性との関係を疑われる。
・市役所を無断欠勤した勘治は、
飲み屋で知り合った三文小説家の案内で、
享楽の巷に紛れ込むが、それでは癒されない。
・職場の若い職員とよが、退職願いに判を押してほしいと訪ねて来て、
勘治は、とよの若い生き生きとした姿に惹かれる。
とよを誘って、日々を過ごすが、
やがて、とよに気味悪がられ、
喫茶店で自分が胃ガンで死ぬことを告白。
なぜ君はそんなに生き生きしているんだと聞かれたとよが
工場で作っているおもちゃを見せて、
「課長さんも何か作ってみたら」と言う。
「もう遅い」という勘治だったが、
「いや、まだ遅くない」という言葉を残していく。
・職場に復帰した勘治は、
黒江町のかみさんたちの陳情書類を見て、
そこに公園を作ることに力を貸そうとする。
・一転、勘治の葬儀の場となり、
勘治が作った公園で深夜死んでいたという事情が明らかにされる。
公園建設の功績を横取りした助役らが帰ると、
市民課の職員は、なぜ、渡辺課長が
ある日から、突然仕事に邁進しだしたのか、の不思議を語る。
その回想の中から浮かび上がって来るのは、
勘治が胃ガンであることを知っていて、
人のために役立つ公園作りに
最後の命を燃やした姿だった・・・。
○話の途中で主人公を死なせてしまう、
という展開は意表を突くもので、
ダラダラ働いているところを見せても、
感動は生まれない、という卓見。
黒澤の師匠、山本嘉次郎監督が
寺田寅彦の随筆「どんぐり」を読ませて示唆したものだという。
愛妻との暮らしを描写した後、
「この妻が死んでから何年~」という飛躍。
「これこそ映画だ」と。
○キャバレーのシーンは、
新橋にあったマンモス・キャバレーを参考に作った巨大セット。
ここに本物のホステスをエキストラとして詰め込んで撮影。
後の「天国と地獄」の麻薬受け渡しのホールのシーンを彷彿させる。
○勘治と関わる若い女性とよには、
無名の新人、小田切みきを起用。
俳優座研究生。
その時一緒だったのが岩崎加根子。
最終的に残ったのは左幸子と小田切みきで、
生まれっぱなしみたいな性格が起用のポイント。
だから、あれこれ指示せず、好きにやらせた。
萎縮することを恐れたという。
なお、小田切みきは、本名小田切美喜。
その後、俳優の安井昌二と結婚、四方(よも)姓となる。
娘は四方晴美。そう、「チャコちゃん」である。
○勘治ととよの最後の喫茶店のシーンは、
撮影に入ってから、
背景とラストを書き足した。
二人の背景に、
女子学生のたちの誕生会の情景を持って来た。
手前の陰鬱な二人と、向こうの華やかな会合。
「対照」という手法だという。
そして、ラスト。
何事か決意した勘治が階段を降りる。
階段の下で、
誕生会の主役の女子学生とすれ違う。
「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」の歌声は、
生まれ変わる勘治に対する歌のようだ。
シナリオになかったこの変更は、
まさに黒澤演出の面目躍如である。
○そして、「ゴンドラの歌」の二つのシーン。
キャバレーでと、公園のブランコ。
苦しみ、悩みの中で涙をこぼしながら歌うキャバレーのシーン。
楽しそうに、自分の人生の最後になし遂げた仕事を見ながら、
歌うブランコのシーン。
映画を観た者の心に残る名シーンである。
「ゴンドラの歌」について、
黒澤は「この世のものとも思えない歌い方」で歌えと注文した。
音楽の早坂文雄は録音時に29コマで採り、
ダビング時に24コマで再生してスローにした。
○公園のシーンは最初ロケを予定していたが、
ふさわしい公園が見つからず、セットで撮影した。
戦時中に鉄を供出したため、
ジャングルジムがどこにもなかったからである。
ところがブランコを貸してくれるところがなく、
ある保育園に強引に頼み込んで借用した。
○ラストは、勘治の残した公園の描写だが、
ここに、シナリオにはなかった木村という職員を登場させる。
通夜の席で、勘治の功績をたたえた人物だ。
日守新一の好演から、入れたという。
○後半の通夜のシーンは、
回想と交互になるが、
当初、回想の場面には音楽がついていた。
だが、13箇所つけた音楽を、
黒澤は全部外した。
完成試写の後に。
実際に音楽をつけてみると、
どうしても絵と音が合わない。
かえって流れ過ぎる。
外した後、落ち込む音楽の早坂文雄を慰撫するのに、
黒澤は大変だったという。
○勘治を演ずる志村喬には、黒澤は本当にガン患者と思うように要求。
撮影に入る前に盲腸の手術をしたが、
役柄としてそれくらい痩せていた方がよいから太らないように求めた。
そのため、志村は家でサウナに入って減量した。
孤独地獄の勘治になりきるため、
老いた孤独の猿の写真を常時見せていた。
真面目で努力家の志村は、
四六時中、自分はガン患者で、
あとわずかしか生きられないと自分に言い聞かせ、
そのため、胃をこわしてしまったという。
本書を読むと、
名作は生み出されるべくして生み出されたのだと分かる。
その甲斐あって、
その年の「キネマ旬報」ベストテン1位に選出された。
そして、そのエネルギーは、
次の作品「七人の侍」に継承される。
なお、本作は1974年までリバイバル上映が出来なかった。
それは、作中に引用された「トウ・ヤング」「カモナ・マイ・ハウス」など、
アメリカのポップスの著作権をめぐってトラブルが起こったため。
黒澤明は、「酔どれ天使」の時、
映画の中で「マック・ザ・ナイフ」を使おうとしたが、
その使用料の高さに断念した経験があり、
著作権のことは十分知っていたと思うが。
2007年、テレビ朝日系列で、
9 代目松本幸四郎主演でリメイクされた。
幸四郎なりのものになっていたが、
やはり、幸四郎では、外見が立派すぎた。
2018年、ミュージカル化され、
市村正親と鹿賀丈史のダブルキャストで上演された。
演出は宮本亜門、脚本と歌詞は高橋知伽江。
WOWOWで放送されたものを観たが、
感心しなかった。
これらは、「完成品」に対する
神をも恐れぬ所業。
リメイクは外国でも行われ、
イギリスでオリヴァー・ハーマナの監督、
ビル・ナイの主演でリメイク。
脚本はノーベル賞作家のカズオ・イシグロが担当しているというから、
興味はわく。
今年日本公開の予定。