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空飛ぶ自由人・2

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小説『海を破る者』

2025年03月18日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

日本の時代小説は、
戦国時代と江戸時代を書くことが多いが、
最近では、もっとさかのぼった時代を扱うことが多い。
この作品も、鎌倉時代
元寇(げんこう)を扱っている。

主人公は河野六郎通有(かわのろくろうみちあり)。
鎌倉時代中期の伊予国久米郡石井郷(現在の愛媛県松山市)の武将。
鎌倉幕府の御家人で、河野氏当主。
元寇の役で活躍した伊予水軍の将。

河野家は、源頼朝から「源、北条に次ぐ」と言われたほどの
名門だったが、
1221年の承久の乱(後鳥羽上皇と鎌倉幕府の対立抗争)で
京都側に付いたため、
鎌倉幕府の勝利後、
所領を没収され、
その上、親族間で惣領の地位と所領を巡って争いが絶えず、
今は見る影もなく没落し、
その家名を細々と伝えていた。

そういう状況の中での
一族融和の努力と
モンゴル帝国の襲来での
河野家の活躍を描く。
なお、河野通有は終始「六郎」という名で描写される。

文永の役(1274) と                              二弘安の役(1281) の
2度にわたる蒙古軍の襲来に備えて、
緊迫感がただよう時代。
その危機感の高まりの中で、
河野家の対立が緩和され、
結束して蒙古軍に対処する。
上陸を許せば、
蒙古軍は東進し、京都を落とし、
鎌倉まで到達する。
地上戦では、蒙古軍はめっぽう強い。
だからこそ、九州での上陸阻止が重要な意味を持つ。
六郎率いる伊予の水軍衆は、
博多の石築地(元寇防塁)の、
更に海側にある砂浜に戦船を置いて、
海上で元軍を迎え撃つべく陣を張り、
石塁は陣の背後とした。
この不退転の意気込みは
河野の後築地(うしろついじ)」と呼ばれ、
九州諸将から一目置かれた。
六郎は志賀島の戦いにおいて
惣領の地位を争っていた伯父の通時とともに
元軍船を攻撃し、
通時は戦死し、
六郎本人も石弓により負傷するも、
元軍船に乗り込み、散々に元兵を斬って、
元軍の将を生け捕る武勲を挙げた。
恩賞として、失われていた河野氏の旧領を回復し、
河野氏中興の祖とも呼ばれる。

史料が少ないのにかかわらず、
今村翔吾の筆は、
まるで眼前で見たものであるかのように、
詳細に描写する。
小説家の想像力、おそるべし。

人買いに連れて来られた
金髪、碧眼の西洋美女・令那(レイナ)と
高麗から来た奴隷・(はん)との交流、
踊り念仏を広めた一遍上人などが
物語を彩る。
特に、令那を通じて、
異国に対して憧れを抱く六郎の気持ちが伝わる。

子どもの頃から
海の向こうには何があるのか、
もしかしたら
己たちとは全く相貌も、
風習も違う者がいるのではないか。

始まりは少年の時分の夢であった。
海の向こう。
遥か遠く。
未だ見ぬ国々があり、
未だ見ぬ多くの人々が暮らしているのかと
思い浮かべた。

令那の国は「るうし」、町の名は「きいえふ」というところを見ると、
今のウクライナあたりと思われる。
そう考えると、今のロシアから侵略されている状況が重なり、
感慨深い。

弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、
当時世界最大規模の艦隊
蒙古・漢軍1万5千~2万5千人の主力軍と
高麗軍5千~8千、
軍船の数は700から800。
大艦隊である。
(小説中では、数万、数千と、もっと大軍に描かれている)
その頃、モンゴル帝国の勢力はヨーロッパまで及び、
東の小国を鎮圧するために
送り込んだ大軍。
その拡張する宿命について
六郎たちが語る。

隣国を呑み込めば、
また新たな国に接する。
その国を恐れてまた侵略し、
次の国に触れる・・・
その負の連鎖に
止まれなくなっているのではないでしょうか

今のロシアと中国の状況を見ると、
示唆的である。

日本は第二次世界大戦での敗北以外、
外国からの侵略を受けたことがないが、
元の襲来は、その危機で、
もしあの時、蒙古の侵略が成功していたら、
日本の歴史は大きく変わっていただろう。

459ページの大冊で、
読むのに時間がかかったが
読みごたえは十分。



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