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ドラマ『神と交わした約束: モーセの物語』

2024年04月24日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

旧約聖書「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」や
イスラム教のコーランにある、
ヘブライ人(ユダヤ人の先祖)を
エジプトでの奴隷生活から解放した
民族的指導者モーセの生涯を描く
ドキュメンタリードラマ。

3つのパートからなり、

パート1「予言者」は、
モーセの誕生から、王子として暮らし、
ヘブライ人を酷使するエシプト人を殺害して、
砂漠に逃れ、シナイ山で神と出会い、
「民を解放せよ」との使命を与えられて、
エジプトに戻るまで。

パート2「災い」は、
民の解放を迫るモーセに対して、
心をかたくなにして、拒むファラオ(エジプトの王)に対して、
ナイル川を血に変えたり、蛙やイナゴ、アブなどの襲撃、
家畜に疫病を流行らせたりという、
10の災厄を与える闘争を描く。

パート3「約束の地」は、
エジプト人の初子を撃つという、
最後の災厄に、ファラオがついにヘブライ人の解放を許し、
出発するが、ファラオの気が変わって追い詰められた末、
紅海を割って、対岸まで渡り、
追って来たエジプト軍が水に飲まれるという奇跡が描かれる。


そして、シナイ山にモーセが登って、
十戒を授かる間に、
偶像を作って拝んでいたヘブライ人を撃ち、
その後、40年間荒野を彷徨った後、
モーセを残して、
ヘブライ人が目的地カナンに入るまで。

それぞれ、81分、86分、88分と長い。

基本的に再現ドラマとして描かれ、
途中にユダヤ教のラビ、イスラム教徒の女性、
キリスト教の牧師、神学者や歴史家たちの解説が入る。
再現ドラマといっても、
本格的なもので、
豪華なセットやCGもていねいに作っているので、
ドラマそのもので独立してもよいようなもの。

解説で面白かったのは、
ヘブライ人は移住後400年もたっているので、
奴隷生活が当たり前になっていて、
疑問には思っていなかったという点。
なるほど、人権意識も労働運動もない時代だから、
そうなのかもしれない。

奴隷解放で困るのはエジプト人
というのも面白い見解。
アメリカの奴隷解放で、
じゃあ、誰が綿花を摘むのか、
と白人が困った、というのに比較されている。

荒野の生活で、
不平不満を言う輩のことが描かれるが、
3日で行けるところを40年も放浪したのだから、
指導者モーセへの不信感が出るのは当たり前。
そのあたりの指導者の苦悩がもう少し描かれたらよかったのに。
また、モーセがいつ自分がヘブライ人だと自覚したか
の描写も不足しており、
モーセの、民に対する責任感と愛情を抱く部分なので
手を抜かないでほしかった。
割れる紅海の描写は、映画「十戒」↓の踏襲だが、

過ぎ越しの描写は、初めて見る光景だった。


十戒の石板は、映画「十戒」は神の手が彫るのに対し、
本作では、モーセ自身が彫る。

ところで、紅海を割ってモーセが民を解放した、
というのは、後のユダヤ人の民族的記憶になった。
それほど強烈な経験だったと言えよう。

申命記26章には、次のように唱えよという言葉がある。
「わたしの先祖は、
さすらいの一アラムびと(祖先ヤコブのこと)でありましたが、
わずかの人を連れてエジプトへ下って行って、
その所に寄留し、ついにそこで大きく、強い、
人数の多い国民になりました。
ところがエジプトびとはわれわれをしえたげ、
また悩まして、つらい労役を負わせましたが、
われわれが先祖たちの神、主に叫んだので、
主はわれわれの声を聞き、
われわれの悩みと、骨折りと、しえたげとを顧み、
主は強い手と、伸べた腕と、大いなる恐るべき事と、
しるしと、不思議とをもって、われわれをエジプトから導き出し、
われわれをこの所へ連れてきて、
乳と蜜の流れるこの地をわれわれに賜わりました。
主よ、ごらんください。
あなたがわたしに賜わった地の実の初物を、いま携えてきました」

これがユダヤ教の信仰告白と呼ばれるもので、
このような民族的記憶によって、
紀元1世紀からの世界への離散の果てに、
20世紀になって、
イスラエルを建国し、帰還した。
それが、今の紛争の種となっている。
つまり、今のパレスチナ紛争は、
聖書的課題なので、
解決の目途はないと言える。

モーセの物語は、スケールの大きな話なので、映画の題材となり、
セシル・B・デミル監督による「十誡」(1923年) 、
デミル監督による再映画化「十戒」(1956年) 、


アニメの「プリンス・オブ・エジプト」(1998年)、


リドリー・スコット監督による「エクソダス: 神と王」(2014年)などがある。


ミュージカルとして、フランスで「スペクタクル十戒」(2000年)が上演され、
2005年には来日公演があった。


海が割れるシーンは、ドライアイスの煙でお茶をにごしていた。

ついでだが、私は学生時代に、友人の作曲家と組んで、
「合唱叙事詩 モーセ」という合唱組曲を作詞したことがあり、
1973年7月3日、
早稲田大学の大隈講堂で初演、
東京芸術大学の昔の奏楽堂その他で演奏したことがある。
更についでだが、
私が所属していた団体が
その上部団体から脱退した時の経緯を記した報告書の題名は
「EXODUS」だった。



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