[書籍紹介]
今から52年前の
1972年11月、
当時革マル派が支配していた早稲田大学文学部構内で、
一人の学生が殺された。
被害者は2年生の川口大三郎君。
革マル派とは対立していた中核派が送ったスパイと疑われ、
学内の教室で拷問を受け、ショック死。
その遺体は東大病院前に遺棄された。
この悲劇をきっかけに、
一般学生は自由を求めて一斉に立ち上がった。
しかし、革マル派の暴力にさらされ、
武装、非武装で分裂。
やがて、一般学生の運動は消えていく。
その経過を川口君と一級下の1年生だった樋田毅(ひだつよし)氏が
詳細に記録として残したもの。
樋田氏は一般学生による自治会の臨時執行部の委員長になった人物。
卒業後、朝日新聞に入社し、
退職後、事件の記録として本書を著した。
一般学生の運動の詳細さに驚く。
よほど、ちゃんとした記録を残していたのだろう。
著者は、革マル派に襲撃されながらも、
最後まで非暴力を貫く。
そのため、自衛のための武装を唱える仲間たちと袂を分かつ。
武装すれば、彼らと同じ土俵に立ってしまうからだ。
武装した学生たちも、
訓練され、統制された革マル派の襲撃には、
全く歯が立たなかった。
学生たちの運動は先細りとなり、
最後には後輩に事後を託して、
前線から退くことになる。
渦中にいた者だけが書けるノンフィクション。
しかし、書くまでには、
半世紀近い歳月が必要だったのだ。
たびたび出て来るのが「非寛容」に対して、
どれだけ「寛容」でいられるかという命題で、 これは人類の永遠の課題だ。
当時の大学当局の対応も描いている。
というのは、大学は革マル派の支配と慣れ合っていた。
その証拠に自治会費を授業料と共に代理徴収し、
(商学部だけでも、年2千円×6000人=約1200万円)
革マル派に渡していたのだ。
革マル派主導の「早稲田祭」実行委員会に年間1千万円を援助し、
「早稲田祭」の入場券を兼ねたパンフレット400円を
毎年5千冊200万円を「教員用」としてまとめ買いしていた。
つまり、革マル派の資金になることを知っていながら容認していた。
革マル派を救出するための警官導入も要請している。
一般学生の新しい自治会作りの動きに冷淡だった。
今の読者には理解できない、というレビューが多いように、
学問の場が暴力に席巻され、
授業も受けられず、
目を付けられた学生は登校さえできなかった、
などと聞いても信じられないだろう。
しかし、当時の大学は、
そういうものだったのだ。
今まで「革マル派」と書いたが、
正式名称は「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義者」という。
つまりは、政治団体であり、革命団体であり、
学生運動は、その尖兵にされたに過ぎない。
当時の運動を一言で表せば、
「独善」で、
自分たちは正しい、反対者は殲滅すべき、
「自分たちの暴力は革命理論に管理された暴力なので正しいが、
他セクトの暴力はそうではないので間違っている」
という論理で暴力をふるった。
本書の中にも出て来るが、
「私たちは革命をやっているんだ。
お前たちは、その邪魔をするのか」
と詰問する女性活動家の言葉に端的に表されている。
自分たちは革命をしている。
だから反対者は殲滅していい。
なんという独善。狭量。
殺人犯人を自首させるつもりとないか、との問いに、
「考えていない。
自首は権力との闘いに敗れたことになり、
自己批判した意味がなくなる」
という手前勝手な論理も同じ。
また、もう一言で表せば、
「若気のいたり」。
20歳前後の
社会の仕組みも知らず、
働いたこともなく、
税金を納めたこともない、
親がかりの学生たちの
狭い視野からの自己主張。
それで世の中を変えようというのだから、
笑止である。
共産主義の基本は「暴力革命」だ。
しかし、マルクスの言う暴力は、
対権力であって、
革命集団同士の「内ゲバ」は暴力革命とは無関係だ。
彼らはその区別さえ理解していなかった。
もし彼らが政権を取ったら、
暴力で言論を封殺する社会が出来ただろう。
結局、革マル派の独裁をなくすのは、
学生たちの運動ではなく
1994年の奥島孝康総長の就任を待たねばならなかった。
就任後に
「革マル派が早稲田の自由を奪っている。
事なかれ主義で続けてきた体制を変える」
と勇気ある宣言をし、
自治会の公認を次々と取り消し、
早稲田祭も中止し、実行委員会から革マル派を排除した。
学生会館の建て替えを機に革マル派を除外し、
資金源となっていた各サークルへの補助制度(年間各35万円)を打ち切った。
奥島総長は、革マル派から脅迫、吊るし上げ、尾行、盗聴など
様々な妨害を受けたが、
これに屈することなく、所期の方針を貫いた。
こうして、早稲田大学は革マル派との腐れ縁を断ち切ったが、
川口君事件からは25年が経っていた。
本書は、川口君事件を巡って、
革マル派から転向した二人の人物についても触れる。
一人は革マル派自治会の委員長だった人物で、
既に故人となっていたが、
常に過去におびえていたという。
もう一人は、事件の現場にいて、
獄中で、その場の状況を警察に対して証言したことから、
犯人たちの逮捕につながった人物で、
公判の場で、傍聴席を占める革マル派たちに
「裏切り者」の罵声を浴びられる。
樋田氏の取材には応じたが、
文字化は拒否した。
そして、巻末に、
当時革マル派の自治会幹部だった人物との対談も載っている。
大学内で実際に暴力をやっており、
革マル派から離れ、その後、社会的影響力も持った人物だが、
正直な人で、当時、革命理論もよく分からず、
なんとなく参加し、あいまいに脱退したことを話す。
50年を振り返って、
「なんでこんなことが最初からわからないんだよ」
と言われれば、その通りなんですが」
と呑気なことを言っている。
そういう人物でさえ、
過激な暴力に走ったのだから、
当時の状況が悪魔的な空気に支配されていたことが分かる。
まさしく、ドストエフスキーが描く「悪霊」の世界である。
この事件を含め、当時の学生運動の活動家たちは、
その後、卒業し、就職し、結婚し、子どもをもうけ、
今は、ほとんどが退職して、高齢者の仲間入りしている。
当時の敵=国からの年金で生活している人もいるだろう。
当時の言動を「若気の至り」とすることは簡単だが、
その時、川口君をはじめ内ゲバで死んだ者は帰らない。
彼らにも、その後の人生を歩むことは出来ただろうに、
その権利は断たれてしまった。
それをどう思うのか。
いまだ中核派も革マル派も存在している。
そして暴力を否定していない。 本書は、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
今年、「ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ」の題で
映画化もされている。