空飛ぶ自由人・2

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品川神社

2024年08月20日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日は、京浜急行の、ここ↓へ。

東京十社の、最後、品川神社に訪問するためです。

ここが正面。

双龍鳥居といい、
左の柱に昇り龍、

右の柱に降り龍が彫刻されています。

 長い階段。                                                                                                                                                   


小高い丘の上に作られたことが分かります。

上から見たところ。                                                                                                 

                                                                                                                                                

途中左側にあるこの階段を登ると、

                                                                                                  富士塚品川富士)に行けます。 

                                        

明治2年(1869)から5年(1872)にかけての築造。
この富士塚に登ることで
本物の富士山に登ったのと同じ御利益があるとする
「富士信仰」に基づくものです。

品川区指定有形民俗文化財

都内の富士塚では最大の高さ約15mあり、

                                                 
こんな急階段を登ると、

頂上。                                                                                                                                                                                                 

                                                 

第一京浜道路を見下ろします。

                                                 

上から見た境内。 

                                       

毎年7月上旬には山開きの神事が行われています。                                                                                  

登りとは異なるルートで下山すると、

                                                 

富士山を神体山として祀る神社、浅間神社の脇に出ます。                                                                                                                                                                            

                                                 

                                                                                                                                               

浅間神社から見上げた品川富士の景観。

                                                 

「ぶじかえる」の石像。

                                                 
平成に入ってから奉納された石像で、
「富士+かえる→ぶじかえる(無事帰る)」という言葉遊びから、
交通の安全を守ってくれるとされています。

正面にある石造りの鳥居。

                                                 

都内では上野東照宮に次いで二番目に古いものです。                                         

                                                                                                                                                                                                                                       

境内には、いろいろながあります。                                                                                                  

                                                                               

庖丁塚。                                                                                                 
使い古した包丁、調理された生き物たちを慰霊するためのもの。                                                                                           調理をなりわいにする人々が多かった、
宿場町としての歴史を感じさせてくれます。

                                                 正面の本殿

                                        今からおよそ800年程前の平安時代末期の文治3年(1187)に、
源頼朝が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座洲崎神社)の
天比理乃※(口偏に羊)命を当地にお迎えして
海上交通安全祈願成就を祈られたのが創始。

慶長5年(1600)、徳川家康
関ヶ原の戦いへ出陣の際に参拝し戦勝を祈願され、
その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納。

寛永14年(1637)三代将軍徳川家光により                                              
東海寺が建立された際、その鎮守と定められ、
徳川将軍家の庇護を受けました。

老朽化が進み、
昭和39年(1964)、現在の社殿が再建されました。
そして、令和2年(2020)に天皇陛下の御即位を奉祝し、
「御大典記念事業」として、御社殿の修復を行いました。

宝物殿                                                                                                                  

                                                 

不規則な公開日程で、
閉まっていましたが、
徳川家康公が奉納した天下一嘗の面などが収められています。

神楽殿

                                          手水舎(てみずや)。                                            

                                                 

水盤の向こう側に河童の像が 。           

                                                 
「水かけかっぱ」と呼ばれるもので、
水難除け・無病息災を願って、奉納されたもの。

                                                                                                  

右側にある阿那稲荷神社 。 

                                                                                                                                                                                                    

                                                                                                                                                                                                    

この鳥居は右下に続き、                                                                                                                                      

                                             小さな社に。

                                                                                                 社名と並んで、「一粒萬倍」の文字があるのは、                                                                                             

                                                 
ここには、一粒萬倍の泉があり、                                                                                               
掲示には、「米は一粒の種より萬倍の稲穂となる」、
「家門・家業の繁栄を願い、印鑑や銭にこの霊水を注ぐが吉」と、
金運アップがご利益のよう。

                                                                                                         確か、板垣退助墓所があるはずだと

本殿の裏側に回ると、板垣家の墓所が。

                                                 
元々神社とは別なものでしたが、
地理的な関係で神社を通らなければ行けません。

これがお墓。                                                 

                                                                                                 

「板垣死すとも自由は死なず」の碑

                                                 

明治15年(1882 年)4月6日、
岐阜で遊説中に暴漢に襲われ負傷した際、
板垣が口にした「板垣死すとも自由は死せず」を記念するもの。
板垣は、この時を含め、5回暗殺未遂事件に遭っています。

懐かしい百円札。

戦前には50銭札にも。

                                                 

想像以上に大きな神社でした。

これで、「東京十社巡り」は、終了。

                                                

東京十社は、
明治元年(1868)、明治天皇が
新都・東京の安寧と国家の繁栄を御祈願されるために、
都内の十の神社を「准勅祭神社」と定めら、
御勅使が参拝し、祈願をされた場所。