先日、新宿で映画を1本観た後、
大久保駅へ。
地図を頼りに、
10分少々歩いたところにある
ここへ。
圓照寺。
正式名称は、医光山瑠璃光院圓照寺。
真言宗・豊山派のお寺です。
奈良や浅草にも同じ名前のお寺がありますが、
それとは違います。
平安末期、関東で起こった
「平将門の乱」を平定した伝説の武将、
藤原秀郷によって建立たのが始まり。
山門。
これが本堂。
本尊には、奈良時代の名僧、
行基によって手彫りされたと伝えられる
薬師如来像が安置されています。
鐘楼。
閻魔堂。
後ろから見た本堂。
寺の誕生には、
次のような話が伝えられています。
平安時代、醍醐天皇の治世(897~929)。
空海の実弟の孫弟子にあたる貞崇が、
今の北新宿あたりにあった柏木村という村に
小さなお堂を建て、
そこに行基が彫った木彫の薬師如来像を安置しました。
まだこの時点ではお寺にはなっていません。
平安中期となり、
関東で、平将門の乱が起こります。
平将門は、朝廷に対して、
東国の独立を主張し、
自らを「新皇」と称したことで、朝廷は激怒します。
朝敵となった将門に対し、朝廷は、
藤原秀郷と平貞盛を討伐のため出兵させました。
出陣した秀郷一行は、
現在の中野区あたりで、
前から痛めていた肘に激痛が走るようになり、
途方に暮れていたところ、
その晩、枕元に薬師如来が立ち、
「この先に私が安置されているお堂がある。
祈願すればその痛みは、みるまに治るだろう」
と告げました。
お堂とは、貞崇の建てたお堂のこと。
秀郷は、すがる思いでお堂を探しあて、
本尊に祈願しました。
するとたちまち肘の激痛が治まりました。
秀郷は、「将門を無事に討伐できた暁には、
このお堂を立派な寺院にいたしましょう」
と誓い、
将門を討ちとった後、
秀郷は、約束通り、
柏木のお堂を立派な寺院に建て直し、
圓照寺と号しました。(940~941 年頃)
その後、戦火の中で焼失を繰り返した圓照寺ですが、
ご本尊の薬師如来像だけは、
先の戦争による大火災の際も焼けずに残りました。
奥の墓地。
境内にある様々な仏像等。
昔より桜の寺として名高く、
境内に植えられていた「右衛門桜」は、
“江戸の三桜”に数えられ、
当時の観光地として賑わったと記録されています。
右衛門桜は戦火で焼失しましたが、
現在も境内中央に咲く枝垂れ桜や
牡丹などの花々が、人々をお迎えしています。
今は、寒椿↓。
春になったら来てみましょうか。