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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

映画『赦し』

2024年04月20日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

女子高校生が同級生に殺された事件から7 年。
最初の裁判では、懲役20年の判決が下されたが、
加害者に再審の機会が与えられ、
再び裁判が始まったことから、
被害者の両親に起こる心の葛藤を描く裁判劇。

7年の歳月の間に、
被害者家族には、大きな変化が起こっていた。
事件直後に二人は離婚
小説家の父親・樋口克は、新作が書けず、酒浸りの日々
母親の澄子は再婚し、過去に見切りをつけて生きようとしている。

弁護士は「更生」を重視する人権派で、
前裁判の判決は裁判長の感情的な判断によるもので、
犯行当時17歳だった加害者を
世の中に返してやることこそ
正義だと信じている。
そのためには、証言台に立った両親を追い詰めることもやぶさかではない。

加害者・福田夏奈は自分の罪には正面から向き合い、
刑務所を出て、自分と同じ立場に立つ人々を助ける仕事をしたいと思っている。
実は、事件の背景には、
クラス全員によるいじめがあり、
その首謀者を刺し殺したのが真相だった。

いじめの状況は、加害者の回想フラッシュバックで描かれるが、
なぜか一審の時は、そのことを述べなかったらしい。
今度の裁判で、いじめの実態を初めて述べ、
被害者の父親は衝撃を受ける。

そして、加害者は被害者の母と面会し、
父は加害者と面会を望むが・・・

いろいろと疑問が。
殺人事件だから少年審判ではなく、
刑事裁判にかけられるのはいいとしても、
17歳の未成年に懲役20年の判決とは、ちょっと重すぎないか。
7年も経っているが、
してみると、控訴はしなかったのか? 
再審を求めるくらいなら、控訴すればよかったのではないか? 
再審が開始されるだけの合理的な新証拠はあったのか? 
前回の裁判ではいじめの件は言わず、
今度に至って初めていじめが動機だったことを言及するが、
一審で、事件の背景を弁護人が探ったなら、
情状証拠としたはずだったのではないか? 
よほど弁護人が無能だったのか? 
いじめよついての証言で、父親が激高し、
発言したり、退席したりするが、
それに裁判長が「樋口さん、お戻り下さい」と言うが、
裁判長が傍聴人に声をかけたりするだろうか? 
加害者と被害者家族との面会など許可されるか? 
まして、父親とは仕切りなしの面談だという。
刑務所は絶対に許可しないだろう。

もちろん、脚本段階で法的な問題は検討しただろうが、
おそらく「ないわけではない」くらいのもので、
観客に疑問を起こさせてしまうのは、まずいだろう。

「赦し」という題名からして、
被害者両親の心の問題だと思うが、
解決したのかどうか、はっきりしない
娘のいじめ首謀者の発覚だけでそうなるのか。

その他、妻の再婚相手も犯罪被害者の親族だと匂わせるが、
はっきりしない。
また、裁判の帰りに両親が肉体関係を復活させるが、
そんな描写は必要だったか。

と、色々疑問はあるが、
描写そのものは、大変ていねいな作り
以前に観た「ゆるし」は素人の作品だったが、
(3月29日本ブログで紹介)
本作は、ちゃんとした監督の手腕でコントロールされていた。
殺人者は刑務所で罪を償うべきだという“正義”に固執する被害者の父親、
一刻も早く過去を拭い去りたいと願う元妻、
そして獄中で自らが犯した罪の重さを自問自答する夏奈。
設定は平凡だが、これしかなかったのだろう。

演技陣では、加害者を演ずる松浦りょうが、
特異な顔つきと表情で、存在感をあらわす。


彼女の言っていることは、まともだし、
苦悩も伝わって来る。
母親役のMEGUMIは、意外な好演。


再婚相手のオリエンタルラジオの藤森慎吾は、
こんな演技も出来るんだという発見。
ただ、父親役の尚玄は、言葉が棒読みの上、不明瞭で、
素人かと思ってしまった。


裁判長の真矢ミキは、目が笑っていて、
厳格な裁判長には見えなかった。
こういう役に有名女優を起用するのは、よく考えた方がいい。
弁護士役の生津徹は、正義を建前に、裁判の勝利のために、
被害者遺族を法廷で追究するいやらしい役。
そんな感じがよく出ていた。
賠償金が取れないと知って、思わず落胆する描写がリアル。

インド人で日本に帰化したアンシュル・チョウハン監督
日本の司法制度に果敢に挑戦した意欲を買いたい
ただ、7年後の「再審」ではなく、
第1審の裁判、
譲っても控訴審として描いた方が自然だったのではないか。

 


映画『アイアンクロー』

2024年04月16日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

アイアンクローとは、「鉄の爪」という意味で、
プロレスで、相手の顔面を手の平全体でつかみ、
5本の指先の握力を使って締め上げる、
フォン・エリック・ファミリーの得意技。


フォン・エリック・ファミリーとは、
アメリカ合衆国のプロレスラーであった
フリッツ・フォン・エリック(本名:ジャック・バートン・アドキッソン)と、
その息子および孫など親族にあたるプロレスラーの総称。

映画は、フリッツが
息子たちをプロレスラーとして育てあげる様子を
次男ケビンを中心に描く。

普通のスポーツ根性ものと思っていると、
一味違う。
というのも、
インディペント系エンターテインメント会社、
A24の製作によるものだからだ。
「ルーム」、「AMY エイミー」、「エクス・マキナ」、
「ムーンライト」、「フロリダ・プロジェクト」、「ザ・ホエール」         と作品名を挙げれば、そのユニークさが分かるだろう。
昨年アカデミー賞作品賞を取った
ヘンテコ映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」も
A24の配給だ。

元AWA世界ヘビー級王者のフリッツの下で育ったケビンは、
世界王者になることを宿命づけられていた。
彼に続いて三男デビッド、四男ケリー、五男マイクもプロレスを始めるが、
不幸が彼らを襲う
まず三男デビッドが日本での試合の前に内臓破裂で死亡(25歳没)。
四男ケリーが交通事故で片足を失って、その後ピストル自殺(33歳没)。
リングデビューした五男マイクも試合中の負傷から後遺症を患い、
精神安定剤の過剰摂取により服薬自殺(23歳没)。
ファミリーは「呪われた一族」と呼ばれた。
(長男のジャック・ジュニアも幼くして事故死、
 映画は5人兄弟として描いているが、
 実際は6人兄弟で、
 末弟のクリスもピストル自殺している(21歳没)。
 監督のショーン・ダーキンは、
 6人分の悲劇を描くと
 多くの観客の心が耐えられないと判断し、
 1人減らす脚色を加えたという。)

ケビンにとって一番大切なのは家族であり、
その家族に次々と不幸が襲う原因は父親にあると、
最後は父親と対立する。
そのケビンの内面を描いて切ない。

ケビンは二人の息子を得て、
「昔、自分には4人の兄弟がいた。
 でも、今は誰も残っていない」
と言うと、
息子が「じゃあ、ボクたちが兄弟になってあげる」
という場面は泣かせる。

自殺したケリーの死後の世界も描かれ、
彼岸でデビッド、マイクと再会し、
幼くして亡くなったジャック・ジュニアを加えて
抱きあうシーンも涙をそそる。

プロレスシーンは、主にケビンのものが描かれ、
演ずるザック・エフロンの肉体改造ですさまじい。
まるで別人。

最後に、
一人だけ残ったケビンは1995年に引退して牧場主となり、
沢山の子供と孫に囲まれている姿が描かれて、
ホッとする。

1997年、フリッツ自身も癌で死去(68歳没)。
2009年、WWEはフォン・エリック・ファミリーの功績をたたえ、
殿堂に迎え入れた。
セレモニーにはケビンが出席したという。
2012年にはケビンの息子でありフリッツの孫にあたる
ロス・フォン・エリック(長男)と
マーシャル・フォン・エリック(次男)が
プロレスラーとしてデビュー。
日本にも来ている。
これにより、フォン・エリック・ファミリーは
親・子・孫の三世代にわたりプロレスラーとして活動することとなった。
更に、ケリーの娘であるレイシー・フォン・エリックも
ファミリー初の女子プロレスラーとして2007年にデビュー。

プロレス界を舞台に、
一つの家族を描く骨太なヒューマンドラマ

5段階評価の「4」

拡大上映中。

 


映画『オッペンハイマー』

2024年04月13日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

先のアカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞・助演男優賞・
撮影賞・編集賞・オリジナル音楽賞と
主要7部門を制覇した作品。
(13部門ノミネート)
「原爆の父」を描いていることから、
日本での公開があやぶまれたが、
ようやく日本の観客も映画館で観ることができるようになった。

↓がオッペンハイマー。

この作品、一筋縄ではいかない

まず、構成
一つは、オッペンハイマーの学生時代から描き、
原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」の委員長として、
核兵器開発を成し遂げるが、
大変な殺人兵器を作ってしまったと罪悪感に苦しむ姿。
一つは、1954年、共産党員の疑いで
聴聞会にかけられ、失脚するまで。
もう一つは、オッペンハイマーを追い詰めた、
ルイス・ストローズが
1959年の聴聞会で
敗北するまで。

この3つの時系列が錯綜する。
しかも、かなり頻繁に。
ただ、3つ目の部分は、
ストローズ側の視点で描かれるため、白黒画面となっているので、
区別が付きやすい。
1と2は、カラーだが、
内容的に、
区別がつきやすい。

その3つをちゃんと把握していれば、
混乱なく観ることが出来るだろう。

いずれも、オッペンハイマーという人物を描くには
欠かせない部分なので、
省略せず、
しかも、時系列を交錯させる
というのが、本作の芸術的なところ。

ただ、1は日本との関わりがあるので身近に感ずるが、
2と3は、アメリカの政治がからむので、
ちょっと分かりにくい。

2で、1954年、オッペンハイマーを、狭い部屋に押し込めて、
大勢で取り囲んで尋問しているのは、
冷戦下、アメリカ社会に吹き荒れた赤狩り
(ソ連=共産主義とつながりがある者を追放する嵐)の影響下、
オッペンハイマーは水爆の開発に反対していたため、
それがソ連を利することとして、スパイの容疑をかけられた。
妻、弟、かつての恋人が共産党員だったことがあり、
オッペンハイマー自身も過去に共産党の集会に出席していたことを
根掘り葉掘り尋問される。
聴聞会は、具体的には、
オッペンハイマーが国の機密情報にアクセスできる許可や資格を
取り消すためのもので、
核関連の機密情報に触れられないということは、
研究を続けられないことを意味するので、
事実上のキャリア終了を意味する。

3の白黒画面で描かれる公聴会は、
1959年、アメリカ上院で、
ストローズが「商務長官」(日本の経済産業大臣) 指名に
ふさわしい人物かどうかを審査するもの。
公聴会では、適性、経歴、政策への理解などを検討するが、
途中から、1947~54年にオッペンハイマーを危険視した理由
について質問が集中する。
当時のオッペンハイマー糾弾の黒幕がストローズだったのではないか、
というわけで、
オッペンハイマーがらみの人物が沢山登場する。

ストローズは、戦後のアメリカ原子力委員会の委員長。
オッペンハイマーをプリンストン高等学術研究所の所長に抜てきし、
原子力委員会にも迎え入れる。
プリンストン高等研究所を訪れたオッペンハイマーは、
ストローズの過去を引き合いに「卑しい靴売り」と発言したため、
ストローズは「卑しくない」と表情をこわばらせる。
また、その後、オッペンハイマーはアインシュタインと池のほとりで会っており、


アインシュタインがストローズの顔も見ずに、無視して去ったため、
ストローズは二人が自分のことを中傷していたのではないか、
と疑いを抱く。
その後、ストローズが水爆の開発を推し進める一方で、
オッペンハイマーは水爆に断固として反対し、
2 人の仲は徐々に、しかし確実に悪くなっていく。
その背景に、ストローズのオッペンハイマーに対する劣等感があった、
というのが、クリストファー・ノーラン監督の見解。
俳優陣は準備のために「アマデウス」を観たという。
モーツァルトとサリエリの対立構造を参考にしたというのは興味深い。

プロメテウスの話がたびたび出て来るが、
プロメテウスは、ギリシャ神話に登場する神。
神々の意志に反して天上の火を人類に与えたために、
ゼウスによって罰せられ、
岩に鎖でつながれて、
大鷲に肝臓を食われてしまう。


オッペンハイマーは、人類に火=原爆を与え、
罪悪感や苦悩に縛られた人生になった。


本作の原作書籍のタイトルは
「American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer 」
(アメリカのプロメテウス:ロバート・オンペンハイマーの勝利と悲劇)で、
オッペンハイマーを「アメリカのプロメテウス」と表現している。

本作中、最も緊張感あふれる場面は、
やはりニューメキシコの砂漠での
原爆実験のシーンで、
爆発によって
空気が連鎖反応で核分裂を起こして、
“大気引火”現象が起こり得ることへの危機感が背景にある。
また、実験が昼間ではなく、
夜間だったことは、初めて知った。
すると、よく目にする
家のリビングに置かれたマネキンが吹き飛ばされるなどの
実験映像は、別な実験のものか。

実験成功の後、日本の都市に落とすかどうかの部分も緊迫の展開。
爆弾を積んだトラックが出発する場面は、ゾッとする。
トルーマン大統領とホワイトハウスで初対面した際、
「大統領、私は自分の手が血塗られているように感じます」と語り、
トルーマンは、「あの泣き虫を二度と呼ぶな」
と側近に言う。

なお、オッペンハイマーとアインシュタインが、
池のほとりで何を語ったかは、最後に明らかになる。

オッペンハイマー役を演じるキリアン・マーフィ
スローンズを演ずるロバート・ダウニー・Jr.
オッペンハイマーの妻を演ずるエミリー・ブラントは、
さすがの演技で、
他に実力者俳優が沢山登場する。
マット・デイモン、フローレンス・ピュー、
ジョシュ・ハートネット、トム・コンティ、
ケネス・ブラナー、ケイシー・アフレック、
ラミ・マレック、ゲイリー・オールドマン
オスカー級の顔ぶれが並ぶ。

常に音楽が流れ、
ホイテ・バン・ホイテマの撮影も見事。
私は1回目は普通劇場で、
2回目はIMAXで鑑賞した。
(もちろん、シネマサンシャインで。
 しかし、全編IMAXで撮影したわけではなく、
 パナビジョンで撮影した映像がかなりを占める)

科学的発見と道義的責任のジレンマ、
科学の成果が兵器としては利用される恐怖、
等、現代が抱える問題が浮彫りにされる。

オッペンハイマーの罪悪感は理解できるが、
ナチとの開発競争の真っ只中にあり、
戦争は殺し合いなので、仕方ない面もある。
ただ、3・10の東京大空襲も
広島・長崎の原爆投下も
実際は戦争犯罪だ。

オッペンハイマーは、その後、名誉を回復、
1965年、咽頭がんの診断を受け、
手術を受けた後、放射線療法と化学療法を続けたが効果はなく、
1967年2月18日、62歳で死去した。

関連映画「アインシュタインと原爆」についてのブログは、↓。
                                        https://blog.goo.ne.jp/lukeforce/e/6fe7b807dd151e0c5cb2155291476c6b 

 


映画『虎を仕留めるために』

2024年04月06日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

先のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞に
ノミネートされたカナダ映画。
3月8日からNetflixで配信。
当初、間に合わず、英語字幕だけだったが、
その後、日本語字幕も付いた。

インドのある村で
集団性暴力を受けた娘のために、
裁判に挑む父親に密着した
ドキュメンタリー映画。

ある日、13歳の少女・キラン(仮名)が
親戚の結婚式の祝いの席から連れ出され、
3人の村の男に集団レイプされた。
父親のランジットは警察に訴え、
3人の男は逮捕され、裁判にかけられる。

それに対して、村の有力者たちは異議をとなえる。
キランは、レイプした男の一人と結婚すべきだというのだ。
それが村の習慣だと。
レイプされた女と結婚する男はいないから、
レイプした男と結婚するしかない、との理屈だ。

父は拒否し、裁判となる。
支援団体の応援も得た。
しかし、村人の反応は冷たい。
村の中で解決すべきだったのに、
裁判に持ち込むなんて、と。
加害者の家族からは、
殺すぞ、家に火をつけるぞ、と脅迫される。
村人からは村八分の仕打ちを受ける。
何かが起こって死人が出ても、
父親と支援団体の責任だ、とも言われる。
すさまじい二次加害だ。
個人より村の掟が尊重されるのだ。

しかし、父親は一歩も引かなかった。
事件以来、心に傷を負って、
ふさぎ込み、口をきかなくなった娘が
あわれでならない。
そうさせた男たちには、
罪をつぐなわせるべきだと。
迷いも、ゆらぎもない。

娘のキランは、勇気を出して、
レイプされた状況を、法廷で証言する。
13歳の少女には、
あまりに苛酷なことだ。

そして、判決では、
3人の男は懲役25年の刑を受ける。
日本より重い。

判決を聞いて、村人の一人はいう。
「刑が重すぎる。
25年も刑務所にいれば、人生の半分が終わってしまう。
裁判をしなくても改心したかもしれない。
村で解決できなかったのか」
「誰しも間違いは犯すし、
加害者にも未来はある、
許すべきだ」

こうした経緯を、キランをはじめ、
父親、母親全員顔出ししてのドキュメンタリー。
日本だったら、モザイクがかかり、
声も変えられる。
キランは13歳の自分の映像を見て、
顔出しを許可したという。
そして、時代遅れの言葉を恥ずかしげもなく口にする
村の有力者たちも全員顔出し。
不名誉な映像だと思うがクレームはなかったのか。
さすがに、加害者の少年たちの顔には
モザイクがかけられていたが。

一切ナレーションはなく
親子や人々の発言だけを追う。
リアリティあふれたドキュメンタリー。
まるで劇映画のよう。
インドで生まれ育った女性監督(ニシャ・パフジャ)ならではの描写力だ。

貧しい農夫の父親が
やせた土地に種をまき、
鍬をふるって耕す姿が胸を打つ。
また、支援団体の人に話す父親の
脇で聞いている
母親の絶望に耐えた表情が心に響く。

最後に字幕にこう出る。
「インドでは、9割以上のレイプ事件が
闇に葬られている。
キランの勝利は、
多くの女性たちに闘う勇気を与え、
同エリアで声を上げる被害者の数は倍増している」

事件が起きたのは、2017年4月19日。
今、キランは20歳で、
支援を受けて村を出て、勉学にいそしみ、
将来は警察官になりたいと言っているという。
父母や家族は、村で平和に暮らしている。

父親はある人にこう言われた。
「自力では虎を仕留められない」
父親は言った。
「自力で虎を仕留めてみせる」
そして、
「僕は実際に虎を仕留めた」
これが題名の由来。

インドの村社会でのレイプに対する意識の低さに驚かされるが、
ひるがえって、日本を見ても、
レイプ裁判の難しさはよく知られている。
レイプを告発した後、
男性警察官に恥辱に満ちた体験を話さなければならないだけでなく、
裁判でも、恥ずかしい経験を事細かに証言しなければならない。
そして、密室の出来事を否定する
恥知らずの加害者と
法廷で闘わなければならないのだ。

しかし、13歳の少女・キランの勇気に学ばねばなるまい。

 


映画『ゆるし』

2024年03月29日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

宗教二世の問題を扱った映画。

新興宗教「光の塔」の信者である松田恵の娘・16歳のすずは、
教団の教義に反する(競争の禁止)からと
学校のマラソン大会に出場拒否し、
クラスの学友からのいじめにあう。
唯一理解者のクリスチャンの友達とも、
誕生カードを母親に破られたことで(誕生日の祝いは、異教の習慣と禁止)
気まずい関係になってしまう。


学校で教団への献金袋を盗まれたすずは、
献金しないと救われないと半狂乱になる母親から
ベルトでぶたれる折檻を受け、
お金を借りるため祖母のもとを訪れる。
虐待の事実を知った祖父母はすずを保護するが、
母親が乗り込んで来て、
取り返されてしまう。


更にいじめで犯されたすずは、
「汚れている」と母親から拒絶され、
を考える・・・

宗教二世の虐待の実態を
娘・母・祖母の三世代の視点から描いた人間ドラマ。
自身も新興宗教で洗脳された過去を持つ平田うらら監督が、
ある宗教二世が残した遺書に感化されて製作を決意し、
自ら監督・脚本・主演を務めて完成させたという。

実は、この映画、59分しかない。
それでは正規の入場料を取るのに
気が引けたのか、
上映後、トークショーが付く。
私が鑑賞した時は、
平田監督と公認心理士の方で、
二人共新興宗教から脱会し、
洗脳を解かれた過去を持つ。
その経験談を交えてのトークは興味深かった。

しかし、映画の出来栄えは、
脚本・演出・演技・音楽全てにおいて、
料金を取って、映画館で上映するレベルには達していない
酷なようだが、映画という媒体の品質の維持の観点から、
そう断定せざるを得ない。
全体的にチープな映像で、
制作費はいくらだったのだろう、
と思っていたら、
監督自ら179万円だとあかしてくれた。
監督は若干24歳で、
大学4年生の時、作ったという。
映画製作経験のない女性の作品。
つまり、自主映画
従って、入場料は
この運動に対するカンパという意味で支払われると考えたらよい。

ただ、新興宗教と家族の問題は、
これほど巷間をにぎわせているにもかかわらず、
テレビも映画業界も取り上げる気配を見せない。
宗教団体からの反駁を恐れてのことだとしたら、情けない。
本作でも、モデルは明らかに「ものみの塔」(エホバの証人)なのに、
忖度が目立つ。
さすがに聖書は聖書のままだが、
引用聖句は、明らかに伏せている。

エホバの証人・・・
1870年代にアメリカ合衆国で
チャールズ・テイズ・ラッセルによって設立された
キリスト教系の宗教団体。
独特の聖書解釈をしており、
正統的なキリスト教からは、異端とされる。
国によっては、カルト集団に分類されている。
子供を伴っての訪問伝道、
兵役拒否や輸血拒否、
学校での剣道授業の拒否などで
世間を騒がせる。
厳格な戒律があり、
若年者へのムチやベルトでの折檻も問題視される。

監督自身も圧迫を受けたことを語っていたが、
様々な困難の中、
足りない予算を工面して、
自分で脚本を書き、自分で監督し、自分で出演して、
映画という形で世に残し、
拡散しようとする
その心意気は評価したい。

アップリンク吉祥寺で上映中。

この後、大阪や地方での上映会を開催するという。

なお、ほぼ同じ時期に
未成年が引き起こした殺人事件と
被害者遺族との葛藤描く
「赦し -ゆるし- 」という映画も公開されているので、
間違えないように。

私は、間違えた。