月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

危機対応。自分はどうするか。

2008-08-01 18:04:25 | Weblog
通り魔事件が起きる。それに巻き込まれる危険がないとは、誰についても言えない。そんな時代、状況にあるようにも思える昨今。通り魔とは限らない。ともかくなにか自身にとって危機的と思えることが起きた場合には、どうするか。言ってみれば、自己危機管理。対応を考えておいても良いのではないか。おそらくは、多くの人の頭の中には、その考え、あるのではないかと思う。だが、じっさいにどこまで具体的に考えることができるものか。たとえば、街の路上でコワい何者かにからまれた場合に、どうするか。いかにその場をうまくおさめるか、あるいは逃れるか。現実にはあまりなさそうな事態ではあるけれども、でも現実にあった時の対応力が試されることではある。なかなか、むずかしそう。でも、具体的対応とは、そういうこと。
欧米文学やジャズ、映画の評論家であった植草甚一さん(1908-1979)。ダンディおじさんだった彼が初めてニューヨークに行ったのは60代半ばだったか。彼のエッセイを読むと、二週間ほどニューヨークに滞在した友人が、セントラルパークでたかられた話がでてくる。その友人は、剣道と柔道の有段者。ところが、タバコを一本くれと言われ、ついでに金を出せとすごんだ黒人が、見上げるほど大きかったので言うなりになった、という。そうしたたかりを避ける方法がアメリカの雑誌に書いてあったというのだが、彼は革の金入れが五つでてきたので、そのそれぞれに5ドルづつ入れておくことを、たかりにあった時の対応にと考える。安時計も5個。それ、つまり対応を考えているということになるのだが・・・・・。そんなことが書いてある。
また通り魔事件のことを言えば、被害者たちは、なにか抵抗できないままに一方的に被害を受けてしまっているように思える。対応不能と言えるような状況で。誰しもそうした場合には、そうした状況に追い込まれてしまう、ということでもあるんだろう。余程訓練を受けた人間でもない限り。
むずかしい。予測ができない。植草さんのように万が一の場合の対応を考えていても、どういう成行きになるか分からない。でも、考えておくくらいのことは。したほうが、良いんでしょう。


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