月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

あそこまで行ければ、という「あそこ」  1

2007-10-15 13:36:14 | Weblog
あそこまで行ければ、という「あそこ」というのはある意味、究極の絶対目標の場所、というイメージ。そのような形のものとしての「あそこ」ということをイメージしてしまうような傾向が、先ずはこちらにはあるようなんですね。
それでいけば平和ということにおける「あそこ」とは、世界中が完全平和な世界としてある場所という位置のことになるということで、現実的に思えば、当然のことながら途方もない妄想ということになりますね。でも、どうもそうしたことを現実的に実現可能なもののようにイメージできる人々もいるようです。極端とも思えることを、目標のように思い描けるひとびとが。
というようなことを始めとして「あそこ」という場所はさまざまな場合、さまざまな形をもって目標としてどこかしらにあるわけですが、それが実現したら、さぞかし充足感があることだろう、満足感も得られることだろうと、やはり思ってしまうのが普通に考えられることでしょう。
その試みに、常に敗れつづけているのが、ここにいるワタシ。それも少々強い意志さえあれば届くことができそうな「あそこ」なんだ。これは、相当に腹立たしいことでありますね。もちろん、そうした自身に対して。
こうしたあたりのことは、例えばダイエットを試みているひとをイメージしていただければ、分かりそうですね。似たようなレヴェルのことですから。その場合も、食欲という人間の本能に対する挑戦ということをやろうというわけですから、それは容易ではないでしよう。つづけることの難しさに当面する。「あそこ」のイメージはあるわけです。われわれ、眠っている時以外は、その刻々、一定しない気分や感覚の流れの中にいる。心に決めたことも、ほんのちょっとしたきっかけで、どうなるものとも知れない。そうしてあとで、後悔など。舌打ち、など。
そうしたことを繰り返すというわけですね。
新しい一日の始まり。さてさて、今日こそは。今日からは。絶対に危機感さえもって、あそこに向けて。ある時、別の流れに入ることがあるかも。奇跡のように、とは言わなくても良い。ともかく別の空気の中にいることも、ありうることだろうね。80パーセントは、当てにならない。でも20パーセント、そちらに行きそうな気配も感じますよーーー。
コメント
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