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地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

苦難の時代【<日米共同訓練>オスプレイが海自艦船に初めて発着艦】

2013-06-16 11:08:49 | 今日の御言葉




しかし、このことは知っておかねばならない。


終りの時には、苦難の時代が来る。

その時、人々は

自分を愛する者、
金を愛する者、
大言壮語する者、
高慢な者、

神をそしる者、
親に逆らう者、

恩を知らぬ者、
神聖を汚す者、
無情な者、

融和しない者、

そしる者、
無節制な者、
粗暴な者、
善を好まない者、
裏切り者、

乱暴者、
高言をする者、
神よりも快楽を愛する者、

信心深い様子をしながら
その実を捨てる者


となるであろう。


こうした人々を避けなさい。


【テモテヘの第二の手紙 3章1-5節】 新約聖書 口語訳



無理なことをどうこう思い悩むのは
むだなことです。

できないことは
神さまがおのぞみでないのだと思いなさい。


マザーテレサ『愛のことば』より





▲護衛艦「ひゅうが」(ヘリコプター搭載型空母)
基準排水量13.500トン



★<日米共同訓練>オスプレイが海自艦船に初めて発着艦


◆毎日新聞 2013年6月15日 11時5分配信


▲米西部カリフォルニア州サンディエゴ沖で、
海上自衛隊の大型護衛艦「ひゅうが」から飛び立つ
米海兵隊の垂直離発着輸送機MV22オスプレイ
=2013年6月14日午後2時51分、西田進一郎撮影


 【サンディエゴ(米西部カリフォルニア州)西田進一郎】

米軍と陸海空3自衛隊による離島防衛・奪還の共同訓練が14日朝(日本時間同日深夜)、カリフォルニア州で本格的に始まった。海上自衛隊の艦船に米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが初めて発着艦し、人道支援・災害救助などの訓練を実施した。訓練は報道陣に公開され、オスプレイの安全性と日米の一体的な運用能力をアピールした。

 オスプレイは、海上自衛隊の輸送艦「しもきた」にいったん下りた後、海自のヘリ搭載の空母型護衛艦「ひゅうが」に着艦。オスプレイから負傷者を運んだり、災害救援を想定した物資の積みおろしを行った。また、回転翼をたたんだオスプレイを格納庫に出し入れしたり、甲板から飛び立つまでの一連の動きを日米の両部隊が協力して行った。

 オスプレイは昨年10月に米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に12機配備され、今夏にはさらに12機が追加配備される予定。ただ、試作機段階での事故が目立ったことなどを理由に安全性への懸念から反対論がある。

 オスプレイの飛行隊長を務める第161海兵中ティルトローター飛行隊のブラッド・ハームス司令は「日本の艦船への着艦は歴史的な機会だ」と強調した。


▲10万飛行時間当たりの事故率 (資料図表)
※問題は、試作段階の事故率ではなくて、
完全( 運用 ) 段階の事故率である。
オスプレイの事故率は低い。


真実【宗教改革の先駆者… ヤン・フス(1370年ごろ~1415年)】

2013-06-16 00:54:02 | 今日の御言葉

不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

【コリントの信徒への手紙一 / 13章 6節】新約聖書 新共同訳



私たちは愛で生まれ
愛で生き

息子・娘を産んで
愛の目的地に到着して

永遠に神様と共に生きるために
神様の所に帰るのです。

私たちの一生は
愛で始まって
愛で熟して
愛の実として収められるのです。






★宗教改革の先駆者…
ヤン・フス(1370年ごろ~1415年)チェコ・フシネツ

: ちきゅう時の散歩 : 旅のしおり : 新おとな総研 :
YOMIURI ONLINE(読売新聞)


◆読売新聞 2013年6月14日




▲ヤン・フスの故郷のフシネツの目抜き通りは今日、鮮やかな色に塗られた建物が連なる


15世紀、チェコでカトリック教会を批判し、欧州の宗教改革の先駆けとなったヤン・フス。南部フシネツの貧しい農家出身のフスは、今でもチェコの人々から敬愛を集めている。

鮮やかな色の建物が続くフシネツの目抜き通りの端に、ヤン・フス博物館がある。かつてフスの生家があった場所という。「正しいと信じたことを貫き通す意志の強さが、感動を呼ぶ」。フスが異端の罪で火あぶりにされる場面を描いたパネルの前で、学芸員のヤナ・マウノバさん(30)が力を込めた。

フスの肖像画や彫像は丸顔だったり面長だったり、まちまちだ。「チェコがオーストリアのハプスブルク家に支配された時代、フスに関係する絵や書物は焼き尽くされた。本当の姿は誰もわからない」。マウノバさんが説明した。



▲ヤン・フス博物館内にある、フスが暮らしていた当時を再現する部屋


塩の交易ルートに沿うフシネツで育ったフスが、プラハのカレル大学で神学を学ぼうと思ったのは、聖職者の静かな暮らしに憧れたからという。その後の荒波は想像しなかっただろう。フスはカレル大学の教授、総長と出世する間、英国の聖職者ジョン・ウィクリフによるカトリック批判に共鳴し、教会改革に目覚める。免罪符販売や聖職売買を厳しく非難した。

無論、カトリック教会は黙っていない。フスはローマ教皇から破門され、ドイツ・コンスタンツで異端審問にかけられた。自説の撤回を拒み、火刑になったのは1415年。最期の言葉は「真実は勝つ」だったとされる。

プラハの礼拝堂の司祭としても、平易な言葉で語ったフスは、貴族や民衆の間で支持を広げた。フスの処刑後、フスを慕う人々が反乱を起こしたのが、約20年に及んだフス戦争だ。ローマ教皇の命令で、フス派討伐の「十字軍」が再三送られたが、フス派が毎回勝利した。この期間は、チェコが外国の干渉に打ち勝った、民族の栄光の時代として刻まれている。

◆郷土の人々に愛され続ける



▲フシネツの中央に立つヤン・フスのブロンズ像


17世紀以後、チェコを支配したハプスブルク家は、カトリック化政策を徹底してフス派を排斥したため、フスの記憶はかき消された。それでも19世紀、民族主義運動が勢いを増すと、フスは外国支配への抵抗の象徴として復権する。20世紀の初め、チェコスロバキア共和国初代大統領に就いたトマーシュ・マサリクはフスの「真実は勝つ」を国の標語にした。

「フスは、共産政権時代に対して複雑な思いがあるだろう」。こう語るのは、フシネツのルドビク・フリードバーガー町長(62)だ。町の真ん中に、フスの大きなブロンズ像が立つ。冷戦時代、共産主義政権が建てたものだ。「共産党は、教会権力に挑んだフスを革命家と呼び、同志として宣伝した」と町長は言う。

その共産党政権が民主革命で倒れて20年以上。「フスが郷土の出身というだけで、うれしいじゃない」。像の近くでペットフード店を営むブランカ・チェルマコバさん(34)は笑う。静寂を求めてフシネツを出発したフスは、ようやく穏やかな居場所を得たようだ。(文と写真 石黒穣)

( 読売新聞2013年6月14日 )

【ヤン フス】

カトリック教会の改革を唱え、教会の土地所有などを批判。異端者とされて火刑に処せられたのは、ドイツでルターが1517年に「95か条の意見書」を出して宗教改革の口火を切る約100年前にあたる。



◆コリントの信徒への手紙一 / 5章 8節

だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、
パン種の入っていない、
純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。