地上を旅する教会

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自分の命[トルコ 宮崎さん忘れない…地震救援、死亡 銅像も設置へ]

2013-02-04 22:53:56 | 今日の御言葉


自分の命を愛する者は、それを失うが、

この世で自分の命を憎む人は、それを保って


永遠の命に至る。


『ヨハネによる福音書』 / 12章 25節 新約聖書 新共同訳


苦しみは非常に
美しいものであります。


たとえば、非常に無垢な人々が苦しむ
そういう人が死んでいくから

神が無いとか
神は冷たいとかいうことでなく


まったく罪のない人が
死んでいくことは
そういう人たちが世界の罪を背負って
償っている気がいたします。


マザーテレサ 『26の愛の言葉』より




★<トルコ>宮崎さん忘れない…地震救援、死亡 銅像も設置へ


■毎日新聞 2013年2月3日 10時19分配信


 11年11月、トルコ東部の大地震の救援活動中に亡くなったNPO法人職員の宮崎淳(あつし)さん(当時41歳)=大分市出身=の銅像が今夏、トルコ国内の黒海に臨む「ミヤザキ・パーク」と名付けられた公園に設置される。「被災者を救おうとトルコまで来てくれた宮崎さんのことを忘れないように」と、公園がある市の市長が企画した。宮崎さんの母恵子さん(69)は「悲しみは癒えないが、遠いトルコの方々が息子の活動をたたえてくれて元気が出る」と話している。




【宮崎淳さんの銅像が設置される公園「ミヤザキ・パーク」】
エンシジ・ムラートさん提供 (写真)


 トルコ東部をマグニチュード7.2の地震が襲ったのは11年10月。多数の人々ががれきに閉じ込められた。宮崎さんは東京都のNPO法人「難民を助ける会」の職員として被災地に入ったが、11月9日の余震で宿泊先のホテルが倒壊し、亡くなった。会に入ったのは約3カ月前で、トルコは宮崎さんにとって初めての海外支援国だった。

 銅像が設置されるのはトルコ西部のゾングルダク県コズル市。地元の芸術家が宮崎さんの顔写真を基に高さ約2メートルの銅像を制作した。昨年夏に市長と会った同県出身で福岡市在住のエンシジ・ムラートさん(36)によると、制作費を市が予算化した。市長は「東日本大震災後の報道を見て、日本人の我慢強さに感動した。その後に、トルコで日本人が犠牲になり、とても悲しかった」と話していたという。公園には既に「ミヤザキ・パーク」と書かれた看板がある。

 ◇各地の公園、診療所に「ミヤザキ」命名

 「難民を助ける会」によると、トルコでは、宮崎さんが亡くなった東部ワン市の大学内の診療所や高校の実験室、イスタンブール市の防災用の公園など、既に複数の場所に宮崎さんの名前を冠した名称が付いているという。特に被災地では宮崎さんの名前は多くの市民の記憶に残っているといい、恵子さんは「昨年5月に被災地を訪れた時に、子供たちからも『宮崎さん』と声をかけられ、胸が詰まった」と話す。

 「難民を助ける会」の堀江良彰事務局長は「宮崎さんが聞けば、照れくさがると思うが、彼の気持ちが銅像のような形で現地に残るなら、うれしい」と話している。【遠藤孝康】

 ◇親日国のトルコ◇

 1890(明治23)年、オスマントルコの訪日使節団の船が和歌山県沖で遭難、多数の漁民が救助にあたり生存者69人を日本の軍艦がトルコに送り届け、国民の歓迎を受けた。14年後に勃発(ぼっぱつ)した日露戦争で、日本海軍がトルコと対立していたロシアのバルチック艦隊を破ったことも親日感醸成につながった。イラン・イラク戦争さなかの1985年3月には、イランに取り残された邦人約250人の救出のため、イラクの撃墜警告にもかかわらずトルコが救援機を派遣した。



(写真) トルコで制作中の宮崎淳さんの銅像=エンシジ・ムラートさん提供



NPO法人「難民を助ける会」
http://www.aarjapan.gr.jp/

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