Addicted To Who Or What?

引っ越しました~
by lotusruby

予習② ヨンファガ ミッチョッソヨ~

2008-07-17 23:21:37 | K-Movie Columns


本日『良い奴、悪い奴、変な奴』 公開 記念 !
個人的な覚え書用記事(私流訳)。


キム・ジウン監督 「狂気じみた娯楽映画。狂ったように撮った」(インタビュー)
(  Star News)


キム・ジウン監督は淡々とした姿だった。 悪戦苦闘の中に撮影を終えた <良い奴、悪い奴、変な奴> の封切りをわずか 3 日後に控え、自分自身ができるのことは尽くしたという様子であった。

170 億ウォンを越える製作費で、韓国映画の復興を担わなければならないことのように <奴奴奴> が位置付けられても彼は意に介さなかった。 <甘い人生> のように木が風に揺れても心は揺れない境地にも達したのか?

14 日、キム・ジウン監督に会って <奴奴奴> について聞いた。


 封切りを控えた心情はどうなのか。

- 常にそのようにしてきたが淡々としている。前に手がけた作品より製作費が大きいが... 何故、1 編作るたびに韓国映画が難しくなるのか(笑)。他の映画よりやや負担が大きくなるのは事実だ。


 知人らにカンヌ バージョンは見ずに韓国バージョンを見ろと「お勧め」したというが。 カンヌ バージョンよりわかりやすく変えたのか。

- カンヌの時より、冒頭と最後のほかにはさらに多く入れていない。 初めて見る観客は早く感じられるだろう。また 3 人のバランスをさらにうまくとった。


 ソン・ガンホ、イ・ビョンホンよりチョン・ウソンのキャラクターが立体的ではないという指摘がカンヌであったが。

- チョン・ウソンにどんな線を求めるのかということはあった。 3人の俳優のバランスには、初めから大きな欲 (興味) をかきたてられた。各人の魅力は明らかで、(それを) 見たいことは明確だったためだ。チョン・ウソンは今まで「ホット」に描かれたことを「クール」に表現しようと努力した。 語り口や語尾まで互いに相談した。 私も西部映画をたくさん見たが、チョン・ウソンの力走シーンのように美しくて優雅な姿は、これまで見たことがなかった。


 タルパラニ(?)が編曲した主題曲がカンヌ バージョンより減った。西部映画にはいつも耳元に残る主題曲があるものだが、なぜ 1 回に減らしたのか。

- もともと 1 回その曲を映画に挿入しようとした。 ところがカンヌには編集ができていない状態で行ったので、2 回かけたのだ。 音楽監督もチョン・ウソンが登場するたびにその音楽が流れることに負担を感じた。


 韓国ウェスタン ジャンルが <奴奴奴> で復活することができると考えるか。

- 曳光弾を撃って、多連発が出てこないかと期待する。 西部映画が好きで私よりさらにジャンルの特性を発揮することができる監督は多くいると思っている。 オ・スンウク、チェ・ホ、イ・ミョンセ、パク・チャヌク、キム・ソンス、リュ・スンワン監督などは西部映画を愛する人々だ。


 キムチウェスタンという西欧言論の評は、ジャンルの変種で、さげすむように感じられたりもする。 むしろキム・ジウン式ウェスタンが明確な表現であるようだが。

- キム・ジウン式ではなくてもキムチウェスタン、味噌ウェスタン、韓牛ウェスタン、ドンドン酒ウェスタンと呼ばれても良い。 彼らと違った韓国的な気質とダイナミック感を見たようだ。 キムチの 「ホット」 な感じを愛嬌たっぷりに表現していると受け入れている。


 ウェスタンというジャンルに新しい解釈があったとすれば。

- 観客が 2 時間、歓呼して興奮する大型娯楽映画を作ろうとした。 当然私たちにウェスタン精神はないが、韓国人特有の活力と活気を入れた。時代的な痛みがあってもエネルギーがあふれていて...


 ジャンル映画に対するキム・ジウン監督の挑戦は、それ自体が評価されなければならないが、一方で 「キム・ジウン ワールド」 が形成されていない理由になったりもするけれど。

- 若干の誤解があることと、私が下手だということだろう。 表向きは、ジャンルにスタイルを追求して見たらそのように見える。 だが前作を通じて、明確に一貫したものを伝えてきた。 私自身も監督の世界を定めなかった部分もある。 まだ私は映画青年で、学んでいる。 今までジャンルのバリエーションを通じて学んだことが <奴奴奴> で集大成となり、まだそれをふろ敷に包んで、具体化させる仕事が残っている。 次からはジャンルを先に決めずに、話から探してジャンルを探すつもりだ。


 <奴奴奴> には <オールドボーイ>、<夕陽の無法者> など多様なパロディがあるけれど。

- 私が好きな映画を通じて、観客に楽しみを与えたかった。 同じ材料、同じやり方で料理を作っても腕が良いね、という声を聞くのが、今私が最も聞きたい声であるようだ。


 <奴奴奴> は、キム・ジウン監督にとってどんな映画なのか。

- この 10 年間の総決算として、次の新しい 10 年を準備する映画。後日、これぞキム・ジウン世界というものを見せることができて、そうなるためにこんなふうにしたんだということを、私が分かるようにする映画。


 壮大な企てだが、どんな瞬間に <奴奴奴> に対する確信を持つことができたか。

- 大平原の追撃シーンを撮った時だ。 馬が疾走して俳優がエネルギーを注ぐのをモニターで見ながら、この現場の気勢を観客に伝えることさえできればと考えた。


 何より派手なキャスティングで注目されたが。

- 3 人とも難しくなかった。 新しいジャンルに挑戦するのに魅力を感じてくれたようだ。出演する俳優をよく理解する監督として残りたい。 俳優達もそうした部分をよく見ていたようだ。


 3 人の俳優の魅力が映画に与えた点があるならば。

- ソン・ガンホがドラマの呼吸を担当して、イ・ビョンホンが緊張を与えたし、チョン・ウソンがアクションの快感を与えた。 3 人の俳優の魅力が極大化されたようだ。


 各俳優の画面配分が違ったが・・・。 イ・ビョンホンにクローズアップが多くて。

- そうだ。 各俳優の役割が違うから初めからそのように意図した。 イ・ビョンホンはどうしても目で語り声に酔う俳優ではないか。彼は私が閉じ込めておくよりはるかに大きな長所を持った俳優だ。


 チ・チュンヒョン武術監督が不慮の事故に遭うなど困難な瞬間も多かったが。 どんな瞬間が最も大変だったか。

- まさにその時だ。不慮の事故は予期せずやってくるが、あまり荷が重かった。 情熱を持っていて熱心に、互いに仕事をした人なのに。 すべての人々が楽しく仕事をしていたのに、すべての人がダウンした。 それ以前の状態に戻すのが容易ではなかった。 <甘い人生> の時に母親が事故で亡くなったが、その時は私だけが気をしっかり持てばよかったが、今回はそうではなかった。 私の映画人生の中で、最も大変で孤独な瞬間だった。 そのためにもスタッフと俳優に、この映画の功は全て配分されなければならない。


 娯楽映画でだけ強調されるのが嫌ではないか。

- ぜひとも娯楽映画として見てくれたら嬉しい。 私はこの映画で作家的野心を満たしたり認められようとするつもりはない。 この映画はスタッフと俳優の慰労になるためにも、興行にならなければならない(笑)。


 <奴奴奴> がダメだったら、韓国映画のIMFが来るとか、話はいろいろあふれるけれど。

- 韓国映画は、1 人の監督の映画で左右されないという信念を持っている。


 <奴奴奴> に対する評価の中で、最も印象深かったことは。

- キム・ヘス氏が話していた 「この映画は狂ってる」(笑)、狂気じみた娯楽映画という評。本当に私たちは狂ったように撮ったんだなと改めて思った。


 3 人の俳優の中で、だれか 1 人に主演男優賞を与えるべきだとすれば。

- 本当に困難な質問だ(笑)。たぶん全員に与えなければならないだろう。 3 人の俳優のうち、1 人でも欠けたらこの映画の魅力は半減しただろう。



寄り道その 1 :  ミッチョッソな現場 ( 動画 VIP 시사회 현장


寄り道その 2 : 「韓国映画、今すぐシナリオに投資しなければ」( link to)

ちょっと意識しすぎじゃないか (笑) と勘ぐってしまいそうな、カン・ウソク監督のインタビュー記事。 キム・ジウン監督とは正反対、対極のスタイルを持っている監督なのでしょうかねぇ~。『カン・チョルジュン』 動員700万が目標とか・・・目標は高くしないとね~ 最初は1000万とか言っていたらしいけど・・・ 以下、名(迷?)言抜粋。

「私が一番嫌いなことは撮ったものをカットすることだ。 俳優たちにも申し訳ないし、それはみなお金捨てることになるのだから。」

「編集前分量で3分程度カットして封切った。 DVDに別に入れるバージョンのようなものもない。」

「名作に残る映画は「映像」でなく、ドラマと俳優の演技に残ると考える・・・見ている時は絵が美しくても、過ぎて見ればそうでもない。」