Addicted To Who Or What?

引っ越しました~
by lotusruby

プラープダー・ユンのトークイベント

2007-07-02 23:07:49 | Cinema な時間


シネマート六本木の亜細亜娯楽講座 『インビジブル・ウェーブ』の果てに~タイを変えた作家が語る、“タイカルチャーの新しい読み方” に参加してきました。

ゲストのプラープダー・ユンは、タイのマルチアーティスト。作家、編集者、脚本家、グラフィックデザイナー、フォトグラファー、作詞家、ミュージッククリップ制作と、その肩書きは多様です。

映画の脚本家としては、ペンエーグ・ラッタナルアーン監督の『地球で最後のふたり』(2004年)と『インビジブル・ウェーブ』に参加。どちらの作品も、撮影監督はクリストファー・ドイルで、主演は浅野忠信(私は『地球で最後のふたり』は未見)。

以下は思い出せる範囲の私のメモ書きです。
トークの前半は『インビジブル・ウェーブ』の話で、プラープダー・ユンさん自らが撮ったロケ地のスナップ写真を見ながら、撮影の舞台裏を追っていきました。


 ペンエーグ・ラッタナルアーン監督×クリストファー・ドイル×浅野忠信×プラープダー・ユンの競作2作品について

『地球で最後のふたり』はもともと映画のために書き下ろしたものではなく短編作品用だったが、『インビジブル・ウェーブ』は最初から映画のために書き下ろしたので責任重大だと思った。1作目は制作には一切タッチしなかったが、2作目はロケハンとの旅にも同行し、制作に関わることができスタッフと親しくもなれたが、この組み合わせで、次の機会があってももう一緒に仕事したくない(笑)。親しくなりすぎちゃって・・・

 浅野忠信のイメージは?(@『インビジブル・ウェーブ』)
浅野が演じるキョウジのイメージは自分が思っていたのとまったく違った。外見は、短髪で清潔感があるが、カッコよくない主人公というイメージだったが、作品ではカッコよくなってしまった(笑)。

 作品の舞台について
香港から始まり、マカオ、プーケットと脚本を書きながら、実際に舞台となる場所を旅した。どの街にも類似性があり、場所が変わっても、人間の気持ちは変わらないというテーマ、特にこの映画では、どこへ行っても罪悪感から逃れられないというテーマに沿うものだと確信した。ドイル撮影監督は、いろいろとアイデアを提案してくれたが、彼のアイデアは予算的にはスピルバーグ並みだった(笑)。

プーケットのホテルの場面は、最初なかったがドイルのアイデア。古い学校のような不思議な場所だったが、フェリー船内の部屋とホテルの部屋のインテリアを同じイメージにした。

撮影準備に1年、実際の撮影は8ヶ月間。

 主人公が日本人なのはなぜ?
それは浅野さんが日本人だから(笑)。この作品は、ペンエーグ監督のアイデアで始まり、プロデューサとも話し合って、浅野さんのキャスティングがまず決まった。自分自身も日本とは交流があるので(来日は20回以上)、日本人が主役なら書きやすいだろうということになった。NY留学中には日本人からインスパイアされることが多かった。

 『インビジブル・ウェーブ』の根底に流れる罪の意識について
宗教に興味はあるが、とくに仏教だとかキリスト教ということを意識していない。自分が伝えたかったのは、社会に対する、もっと社会の全般的な罪悪感。タイ社会では、罪を問わない、罪を助長するような風潮があるため、何かを投げかけたかった。


後半は、アーチストとしてのプラープダー・ユンについて、日本で撮った写真も披露してくれました。

 マルチアーチストとしての活動について
アメリカではアートを学際的に学んだ。ところが社会では、何かひとつに特化することを良しとする風潮がある。色々な分野に手を出せば出すほど、呪われるような気分(笑)。色々と手を出すと軽く見られてしまう。他の分野に少しでも足を踏み入れると、領域を侵したかのように、越境してきたかのように見られてしまう。自分は作家からスタートしたが、最初にやったことがその人のアイデンティティのように思われてしまう。

 書くということ
自分はアートに関わる仕事をしたいと思っている。「書く」こともその表現のひとつ。作家は孤独で、作品を書き上げるプロセスは、外から見えにくく、始まりも見えにくいが、挑戦しがいのある仕事である。書くことは演技に近い。自分ではない人間を描くことができる。

                          

タイカルチャーにはまったく無縁なので、新鮮なお話でした。プラープダー・ユン氏は、海外で教育を受け、タイのインテリ層を代表するカリスマ的存在なのだそう。外見はスキンヘッドで怖そうだけど、笑顔はお茶目で、とても洗練された感じでした。ユーモアもたっぷりだし。

マルチタレントを持っているからこその悩みのあるようでしたが、「何かこうでなければならない」と縛られたり、「ここからここまで」と行動の範囲を設定されてしまうことが、彼にはとても窮屈そうでした。

『インビジブル・ウェーブ』については、私的には流れるような映像がヨカッタという方が先に目に付いてしまって、ストーリー的には面白さがやや物足りないなどと言ってしまったのだけど、やはり実際に脚本を書いた方の生の言葉を聞くと、それこそインビジブル(見えない)部分がビジブル(見える)になってくるのが不思議です。それに、『インビジブル・ウェーブ』というタイトルは、本当に何かがヒタヒタと押し寄せてきそうなタイトルだなぁと改めて思いました。

           Entertainment Magazine Cinemart vo.1 (free paper)  より