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航空機を作っている現場を見ると、飛行機に乗れなくなるという話を聞いたことがある。メディアの取材の現場と出来上がったニュースを見比べてしまうと、あらゆるニュースが何か空々しく感じられるようになってしまう。
通信社だろうが、新聞社だろうが、放送局だろうが、メディアは所詮は営利企業だ。他の企業とまったく同じように、お金儲けがまず第一の企業目的だ。製造業は、売れない商品は作らない。当たり前の話だ。メディアも、商品価値のないニュースは載せない。これも当たり前の話だ。何を伝えるべきかの前に、商品価値があるかないかが大事なのだ。
あくまで僕個人の実感でしかないが、あえて言えば、特派員の取材とは、最終的な読者や視聴者に向いているのではなく、会社の上司に向いているように感じられる。何を伝えるべきかではなく、何を送れば上司が気に入ってくれるか、評価してもらえるか、そんな風に見えてしまう。結局、上司の評価を気にする企業の社員のようだ。
価値の高い商品を社に提供するために、極端な例では、ヤラセや盗作もある。古い話だが、朝日新聞のカメラマンが、珊瑚礁につけられた無残な傷を撮影して、大きく報じたことがある。心無いダイバーが珊瑚礁に傷をつけたのは確かに事実だったが、その傷はごく薄っすらしたものだった。しかし、なぜか新聞に掲載されたときは、くっきりした傷になっていた。水中の現場で、おそらくカメラマンはがっかりしたにちがいない。これではインパクトがない。インパクトのないものは、商品価値がない。商品価値のないものを会社に持って帰っても、評価は得られない。水中の無重力の中で、彼の思考も重心を失ったのか。彼は、勝手に商品価値を高めてしまった。
これは決して例外的な事例ではないと思っている。報道の世界では、「事実」に対する「加工」はごく当たり前のことだと思ったほうがいい。スーパーの生鮮食品の不当表示や産地偽装を報じるメディアも、実は同じことを日常的にしているのだ。ニュースもあくまで商品にすぎない。珊瑚礁の傷は、朝日のカメラマンの個人的な資質もあったかもしれないが、「加工」が当たり前の世界にいて、彼の倫理観も麻痺していたのだと思う。
通信社や新聞社で、ジャーナリズムの使命に燃える人材は、だいたいが窓際へ追いやられると、そういう話を内部の人から耳にしたことがある。結局、メディアの世界でも、出世していくのは単に社内政治に長けた資質の持ち主ということなのだろう。僕が現場で接してきた個々人は優秀な志のある人が多い。僕などが足元にも及ばない豊富な経験と知識を持った方がほとんどだ。しかし、営利を追求する組織の中では、そうした個々人の能力や志が反映されることはほとんどない。理想と現実とはかなりかけ離れたものだ。
東ティモールでの武装襲撃事件のあと、僕は、現地で何人かの日本のジャーナリストに事件の話をした。ジャカルタへ脱出したあと、某新聞社の紹介で、とある日本の放送局のジャカルタ支局へ行った。そこでひととおり武装襲撃事件について説明した。話を聞き終えた支局員は、
「死者一人かあ、インパクトねぇなあ」
と一言おっしゃった。
また、ある新聞編集者は、
「戦争で人が死ぬのは、あたりまえで・・・」
と言った。あんた人一人が殺されただけで何を騒いでいるんだ、とそんなニュアンスだった。
そして、またある通信社特派員は、パソコンを打ちながら、
「時間があったら聞きたいんだけどね」
と一瞬だけ首をこちらに向けた。
僕の話も、爪楊枝のような事件を大木に見せようとしていると思われたのかも知れない。
そんな気がした。
あの時に日本からドッと押し寄せてきたメディア各局のことを思い出します。彼らが事前に何らかのストーリーを作ったうえで取材を行っていることに唖然としました。見たそのままを伝えるのではなく、こう見えるように伝える、というやり方です。
物事を表現していくうえで、そこに自分の感情が介入することはごく当然のことでありますが、それを「これが全てだ!」と平気で言ってしまうところに恐ろしさを感じます。さらにそれが営利目的で捻じ曲げられた「全て」であるわけですから・・・
そうした手法までは、僕には観察できないので、とても参考になる話です。
「悪の枢軸、イスラム国家をタタケッ!」
空爆後に流されたものは
「傷ついた国、アフガニスタンを救え!」
どうでしょう・・・。これ、現地でみていた僕にしてみれば
「あーた、自分達が思う存分傷つけておいて、何を今更ほざいてまんがな・・」
といったあいた口が塞がらない状況でありました。
日本はペルシャ湾に展開する艦隊に対し莫大な費用を費やして燃料を供給し、気がつけばアフガン復興のためのリーダー国となっていました。
“マスコミは国家の広告塔”と言われることがありますが、ものの見事に報道どおりの行動であります。
当時のアフガン報道は、僕もめまいがしました。
あれほどみえすいた茶番報道でも、それが大洪水となると、すべてが歴史的事実となって流されていく。ものすごくおそろしい時代に突入したなと。
いつの時代も、メディアは国家の付属物でしたが、これほど露骨なのもめずらしい。いまの日本のマスコミは、かつての「大本営発表」の時代と何ら変わりない。何か大きなことが、裏で進行しているのだと思います。でも、ほんのひとにぎりの人しか警鐘を発していない。
マスメディアの言うことは信じないのが、この時代を生きる一番の方法でしょう。
次にいったい何が出てくるのか・・・
最終取材地がアフガニスタンとの記事を読んで
以前読ませていただいたこちらの報道についての記事を思い出しました。
何かがあった時、メディアはそれを伝える。
その情報の浅さ、しかも作られた作品であるということ。
本当のことを知るためには自分で確かめなければいけないのですね。
中司さんのような考えを持った方が現地へ出向き
ある視点から真実をとらえ伝える。
わたしのような一般人の救いは、そういう方がいてくださることです。
そしてできるのは、そうしたことを見極める目を養うこと。。
やはり、ちゃんとアンテナを立てておかなければと再確認。
ものすごく共感して、読ませていただきました。
ニュースは加工されるもの、理想と現実派はかけ離れている・・・。
非常に良く、分かります!
また読みに来させてください。
なかなか、こうしたメディアの裏事情というのは、見えてこないので、折に触れて書いていきたいと思っています。
メディアに対しても、市民は厳しい眼で監視していかなければならないと思っています。
特に、それが必要な時代だと思います。
また、起こしいただければ幸いです。