ライア-(竪琴)大好き!~Tomoko Leier Salon へようこそ♪~

ライアー(竪琴)奏者の三野友子です。ライア-や日常生活のこと、あれこれを気ままに綴ってます♪

私とライアーの歩み その9

2020年08月28日 | ライア-日記
今日もかなり気温が上がりましたね。
近くの農家ショップで新鮮なトマトを買ったので
今日も、トマトと豆腐の味噌汁で元気です♪

私とライアーの歩みの続き・・・です(笑)
私はドイツでライアーに出会いましたが、
ライアーに出会ったということは、すなわち「音楽」と出会ったということでした。

特に専門的な音楽教育を受けたわけではありませんので、
クラッシック音楽に関しての知識はほぼ皆無(泣)でしたし、
その当時、特に好きで聞いている音楽もありませんでしたし、
興味すらありませんでした。

ライアーを弾き始めてから、劇的にすぐに音楽に興味を持ち始めたかというと
まあ、そう絵に描いたようにはいきません・・・
だんだん、ライアーに慣れてきて、
日々の練習の中で音楽を奏でるようになり、
ライアーのレッスンの中で、ライアーの先生がいろいろな曲を紹介してくれたりで
少しずつ、少しずつ、音楽への興味がわいてきました。
そして、少しずつ、少しずつ、音楽を聴くようになってきました。

当時はドイツに住んでいたので、近くの教会でコンサートがあったら行ってみるとか
CD屋さんに行って、いろいろ眺めてみるとか
当時の私ができることで、思いつくことをやっていったという感じです。

そして、少しずつライアーを弾くことに慣れてきて
少しずつ弾ける曲が増えてきて
ライアーを演奏するのが、本当にうれしくなってきました。

そして、当時の私の中にひそやかな夢が生まれました。
いつか・・・小さなライアー演奏会ができるようになりたいな♪
今は全然うまく弾けないけれども、いつになるかわからないけれども
人の前で演奏できるようになりたいな・・・

なぜそういうことを思うようになったのか、20年以上も前の事なので
記憶があいまいなので、定かではないのですが・・・
当時の私はあまり幸せではなかったので
今の自分ではない自分になりたいな・・・という願望があったのかもしれません。

現在の私はとっても愉快に暮らしているので、
もしも、どこでもドアーがあったら、20年前当時の私の所へ行って
「大丈夫だからね!」って抱きしめてあげたいくらいです・・・

18年前に日本にドイツから帰国してきました。
ドイツに8年半も暮らしていたので、逆カルチャーショックが半端なかったです。
異国の地で幼い子供たちを私が一人で守らなければ!という正義感と義務感から
やっと解放されたわけです。

いつも下手なドイツ語で自己主張をする必要がなくなった反動でぼんやりしていました。
ほらほら、西洋って黙っていると何も考えていないと受け取られるので
自己防衛のために、攻撃的にならざるを得ないのです。
あ~、なんでそんなに深刻に必死に生きていたのでしょうか!
また当時の私を抱きしめてあげたい!(笑)

話しをライアーに戻します!
ちょうど「千と千尋の神隠し」が封切られた翌年に帰国したので、
世間一般的に「呼んでいる~胸のどこか奥で~♪」という
木村弓さんの「いつも何度でも」が流行った後でした。

ですので、その木村弓さんの楽器をドイツで習ってきたよ、というと
友人が「うちでミニコンサートしようよ♪」と言ってくれたり、
知り合いが主催のイベントで「演奏してよ」って言ってくれたり、
子どもの小学校のママさんコーラスの発表会の前座で弾いてって言われたり・・・
あらあら、ドイツで夢を描いていた
人の前でライアーを演奏するということが意外と早く実現してしまいました。

(当時の相棒のコロイの大型35弦ライアーです♪)

ただ・・・
緊張は半端なかったです。
指の震えはどうにもならないし
もともと人前で何かをするという感じでもなかったので
(注:今はかなり図々しくなっています)
人の前に出るだけで心臓がばくばくでした。

でも・・・
稚拙すぎる演奏でしたが、楽しかったんですね~♪
なんだかうれしかったのです。
そう、それまで自分が人の前で何かをするという事をしたことがなかったので
単純に、別の人になったみたいで新鮮な気持ちだったのです。

そうするうちに・・・
小さな自分のライアー演奏会を主催してみたいな・・・
(つまりは入場料を頂く形式の)
そんな思いがわいてきた矢先にある素敵なお店に巡り合いました♪
つづく・・・
コメント
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