ライア-(竪琴)大好き!~Tomoko Leier Salon へようこそ♪~

ライアー(竪琴)奏者の三野友子です。ライア-や日常生活のこと、あれこれを気ままに綴ってます♪

オカロランの物語 (その6)

2008年08月23日 | オカロラン物語

(写真:オカロランの楽譜集 Ossian 発行
  彼の伝記や曲にまつわるエピソードも載っている)

♪ 最終回の巻 ♪

ものぐさな拙ブログでの初めての続きものがたりも
今日で一区切りをつけましょう・・・

オカロランの晩年・・・

陽気で大酒のみで、さらりと素敵な曲を作ってしまうオカロランは
アイルランドの冠婚葬祭には欠かせない重要人物になってしまうほど。

彼はどこへ行っても人気者でした。
知識階級の人々とも親交があり、
「ガリバー旅行記」の作者スイフトとも友達でした。

若い頃、ブリジット・クルーズとの恋に破れたオカロランも
その後結婚し、1男6女をもうけます。
彼の一人息子は、オカロランのようにハープ弾きになったらしいのですが
あまり詳しいことはわかっていません。

63歳の時に妻をなくし、
その後68歳になったオカロランは自分の死期を予感していました。

そして、彼は若いころからずっと世話になっていた
18歳の失明した彼をハープの修行に出してくれた
農場主であるマクダーモット・ロー家に戻ってきました。

マクダーモット・ロー家にたどりついたオカロランは
間もなく病の床につき、
彼をかわいがってくれた、マクダーモット・ロー夫人の看病を受けます。

自分の死期を悟った彼は
最後の曲 ’Farewell to music’(音楽との別れ)を作曲。
この曲はいつ聴いても、自分で弾いてみても
胸にせまってくるものがあります。

1738年3月25日 ターロック・オカロランは68年の波乱に満ちた生涯を閉じる。
彼のお葬式には参列の人々が絶えることなく訪れたということです。

どうして私はオカロランに惹かれるようになったのか・・・
彼の曲がとっても美しいメロディーということもありますが、
きっと、彼の逆境にもめげない、したたかさ、たくましさ。

普通のやわな人間だったら、18歳という若さで失明した時点で
人生をあきらめ、投げやりになるかもしれないのに・・・

彼は、音楽・ハープという全く新しい武器を身に着け
そして、それまで彼とは無縁だった
アイルランド上流階級、知識階級の中へとたくましく潜入して
自分の音楽の才能、詩の才能を開花させたのです。

そして、彼の死後300年近くたった今
アイルランドからはるかに遠く離れた日本でも親しまれている彼のメロディー。

ブラボー! オカロラン!



♪♪ ご訪問いただき、ささやかな連載をお読みいただいた皆様
   ありがとうございました!
  「楽しみにしていますよ~」という
   うれしい個人メールなどいただき、とっても幸せです。
   オカロランの曲でライアーで弾くときれいな曲はたくさんあります。
   これからも、大切な宝物を一つずつ集めるように、
   レパートリーを増やしていきたいです ♪♪

参考文献: 「Carolan 」 Donal O'Sullivan 著 (写真の本です) 
      「Fair Melodies」 Art Edelstein 著

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オカロランの物語 (その5)

2008年08月21日 | オカロラン物語
(写真:アイルランド Keadue村にあるオカロランのお墓)

♪ みのともこ 墓参りに行くの巻 ♪

今から約10年前にライアーを弾き始めて、しばらくして
まったく未知だったアイルランドの音楽に興味を持つようになりました。
(その当時はドイツのデュッセルドルフという所に住んでいた。)

たまたま通りすがりに買い求めたアイリッシュ音楽の楽譜に
オカロランの白黒の肖像画と、彼の簡単な生い立ちが書かれ、
なぜか、そのページに私の目は釘付け。

その楽譜を買う前に、アイリッシュハープのCDを聞いて、
O'carolan(オカロラン)という人のメロディーはうつくしいな~♪
と思っていたからです。

そっか~、そうか~、彼は目が見えなかったんだ・・・・

その後、手当たり次第にアイルランド音楽、ケルト音楽を聴きあさるうちに
私のこころはすぐにでも、アイルランドへ飛んでいきそうに・・・

アイルランドの空気を吸いたい。
風景を目にしてみたい。
パブでライブを聞きたい。
楽譜とCDを見てみたい・・・

子どもたちをなんとか預ける段取りをつけ、
3泊4日のアイルランドひとり旅・弾丸ツアーを決行したのは
今からちょうど7年前のこと・・・
(住んでいた、デュッセルドルフ→ダブリンは、東京→福岡とほぼ同じ距離)

ちょうどそのとき、オカロランのお墓がある
Kedeue(キージュー)村で、 「オカロラン・ハープフェスティバル」 という
年に一回の村を上げてのお祭りをやっていた。

公共の交通機関では行けない、ものすごい田舎・・・
宿泊先のB&Bのおばさんにわざわざ遠いとこを
車で最寄の鉄道の駅まで迎えに来てもらったほど。

初めて目にする、のどかなアイルランドの田舎の光景

なだらかな緑の丘がどこまでも広がり
点在するきれいな小さな湖。
ギネスビールの看板。妖精の飾り物。
盛り上がるフェスティバルでのお祭り騒ぎ・・・

これだけでも私の旅ごころは大満足。

せっかくだから、オカロランのお墓を見てみようと
村はずれの墓地へ行くが・・・

墓地だから・・・こ・こわい・・・
広大な墓地を歩き回り (こ・こわい・・・)
やっとのことで見つけた彼のお墓は
なんと、なんと、入り口のすぐそばだったぁ。
(歩き回る必要なんでなかったっ)

というわけで、私は彼の墓前に手を合わせ
ライアーの技術向上を祈願してきたわけですね。
(オカロランさんよ、私の願いをかなえたまえっ!)

あれからもう7年もの歳月が流れてしまったけど
オカロランが300年前にハープと共に旅をしたであろう
のどかなアイルランドの緑の風景が
今でも、あたまの中にいつも映し出されています。。。

・・・あと一回つづきます・・・
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オカロランの物語 (その4)

2008年08月20日 | オカロラン物語
(中央でハープを弾くのがオカロラン)

♪ オカロランのキャラクターの巻 ♪

今日も日中暑かったですが、
少しずつ、少しずつ季節が移ろいでいるようです・・・

オカロランの話し、まだ続きます・・・

今まで書いた文章の中に大事なことを書き忘れていました。
それは、オカロランの性格です。

彼は陽気で、社交的で、悪ふざけがだいすきで
おまけに大酒のみ。(女好きだったというウワサも・・・)

アイルランドの上流社会の人気者になったオカロランは
彼の類まれなる作曲と作詞の才能だけでではなく、
その愛すべき、憎めないキャラクターによるところもあったようです。

体の具合が悪くなったオカロランに医者はしばらくの間の禁酒を言い渡します。
その診断にいたく失望した彼は
’Farewell to Whisky'  (ウイスキーとの別れ) という曲を作曲。
(大げさだなぁ)

お酒が飲めなくなった彼は落胆し、
体調もますます悪くなってしまいました。
そのあまりの落胆ぶりを見た医者は仕方なく、
ウイスキーを飲むことを許しました。

それを聞いたとたんにオカロランは元気になり、
’O'caloran's Receipt' という楽しげな曲まで作ってしまう。

なんか、おかしいですね。

彼にまつわる、おもしろおかしな出来事はたっくさんあり
悪ふざけで、人をだましたり、またお返しにだまされたり・・・

いつも酔っぱらって楽しくハープを弾いたり、珍事件を起こしたり。
それを回りの人々は面白がりながらも、暖かく見守っていたのでしょう。

彼の作曲は大半がパトロンなどの実在の人物にささげた曲ですが
その曲と詩が、その人物そのものを見事に表していたとのこと。
その類まれなる才能もあいまって、
オカロランは当時のアイルランドの上流階級の重要な家々からはいつも大歓迎。

もしも彼が失明せずにそのまま鍛冶屋だったら、
音楽とも関わることなく、
上流階級に潜入することもなく、
後世に名を残すこともなかったでしょうから。

「まったく人生何が起こるか、
 何が幸いするのか、わからしまへんなぁ」

タイムマシンに乗って
実物のオカロランを見てみたいものです・・・

・・・まだもう少しつづく・・・
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オカロランの物語 (その3)

2008年08月19日 | オカロラン物語

♪ 恋物語の巻 ♪

オカロランの恋のはなし・・・

オカロランが18歳のときに天然痘にかかり失明したのち
3年のハープ修行を経て、各地のパトロンの家々をハープの演奏をしながら
旅して回るという、まったく新しい人生をスタートさせましたが。。。

彼が失明する前の出来事。

オカロランには大好きな女性がいました。
彼女の名前は Bridgit Cruise(ブリジット・クルーズ)

若い二人は互いに愛し合っていました、
ところが、クルーズ家は大地主の上流階級。
貧しい鍛冶屋の息子のオカロランとブリジットとは
身分が釣り合うはずもなく、
二人は無理やり引き離されてしまいました。

ほどなくオカロランは天然痘にかかり失明。

まだ目が見えていたころに大好きだった女性ブリジット・・・
きっと、彼にとって心の奥底にいつまでも
そっと閉まっておきたい、とってもスペシャルな思い出だったことでしょう。

オカロランは生涯を通して、
パトロンや、お世話になった人のために
たくさんの曲を作りました。

当然、もう二度と会えないブリジットのことを
歌った曲も残しています。
それも4曲も・・・
とっても美しく、繊細なメロディー。

オカロランとブリジットの後日談・・・

信仰深かったオカロランは52歳の時、とある湖にある巡礼地を訪れました。
目の見えない彼が湖を渡る船に乗ろうとしたときに、
一人の女性が手を貸してくれました。

その手を握った瞬間に、
「この手は、ブリジットの手だ!」と叫んだオカロラン・・・
そして、そのとおり、手を貸してくれた女性は
ブリジット・クルーズだったのです。

オカロランは長い時がたっても
目が見えていたころに大好きだった
ブリジットの手のぬくもりを忘れていませんでした。

とってもロマンチックな話しで・・・
(伝わっていることで、事実かは不明ですがっ
 まるでチャップリンの映画「街の灯」のラストシーンみたいです。。。)

ブリジット・クルーズの第4番目の曲がだいすきで、
拙作CD「ライアーのおくりもの」にも収録しました。

↓コチラからお聞きいただけます~♪
どうぞお楽しみくださいませ・・・
http://www.musical.jp/harp/snd/GiftsFromtheLeier.mp3

まだまだ、つづきます・・・
(おっ、このブログ初の長編になりそう・・・)
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オカロランの物語 (その2)

2008年08月18日 | オカロラン物語
(写真:オカロランの銅像 )

♪ 旅立ちの巻 ♪

アイルランドという国では
昔から「ハープ」はとてもスペシャルな楽器。
ハープには不思議な力が宿っていると信じられていました。
昔の部族の王様はだれもがハープの名手でした・・・

ユーロ通貨統合になる前も、なった後も
アイルランド通貨の全種類のコインの後ろには
ハープが描かれているほど。(かわいいです・・・)

300年前の当時のオカロランの時代
アイルランドの田舎では娯楽があまりなく
旅回りのハープ弾きがやってくることは
人々にとってはおおきなイベントで、楽しみな出来事。

*****
さて、オカロランがハープ弾きとして
農場主一家から紹介され、はじめてやってきた家は、
Reynolds(レイノルズ)家でした。

レイノルズ氏自身がハープを演奏する人だったので、
オカロランのハープの演奏を聴いて、こうアドバイスしました。

「あんなぁ、オカロランはん、正直いわせてもろたら
あんたのハープの腕前はかなり、いまいちや。 
わしかてハープ弾くさかい、ようわかるわ。
そりゃ、仕方ないわ。18歳から音楽始めてんねんからな。

あんたね、自分の曲を作ったらええがな。
あんた、ようしゃべるやろ? そやさかい、詩も作んねん。
自分の曲が作れるようになったら、あんた、きっと成功するわ。」

オカロランはおしゃべりでした。
彼のその特技を見抜き、これから訪問することになる
パトロンたちのために作詞作曲をすることが
オカロランの才能を開花させるかもしれない
レイノルズ氏は、そう思ったのでした。

そのレイノルズ氏のアドバイスに従って
オカロランが初めて作った曲が
「Sheebeg Sheemor」(シーベック・シーモア)。
(直訳すると、「大きい妖精・小さい妖精」
その地方に伝わる伝説を歌にしたもの。
拙作ライアーCD「スイート・ライアー」に収録してます☆)

そして、これからの47年間の旅回りの生活で
オカロランは実に膨大な数の曲を
彼のパトロンたちのために作りました・・・

・・・つづく・・・
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オカロランの物語 (その1)

2008年08月17日 | オカロラン物語
オカロランというアイルランドのハープ弾きがいました。
今から約300年前のことです。

わたしは、彼のメロディーがだいすきです。
拙作ライアーCDにも、3曲彼の音楽を収録しました。
(ブリジット・クルーズ ブラインド・メアリー、 シーベック・シーモア)

彼の話を少ししたいな、と思いました・・・

アイルランドの最後の吟遊詩人
Turlough O'carolan (ターロック・オカロラン もしくはオキャロラン)

彼のハープの音楽は、楽譜に残されているだけでも200曲以上もあり、
6年半前にユーロ通貨統合される前のアイルランドの
100ポンド紙幣にはオカロランの肖像画が印刷されていたほど
アイルランド音楽の英雄であったのです。

オカロランは1670年に、貧しい鍛冶屋の息子として生まれました。
お父さんは大きな農場主に仕える鍛冶屋でしたから、
オカロランも当然、鍛冶屋としての人生を送るはず・・・でしたが・・・

オカロランが18歳のときに当時のヨーロッパで猛威をふるっていた
天然痘にかかり、はからずも失明・・・
彼は、この世の光を失ってしまったのです。

ところが、オカロラン一家が奉公していた農場主の奥さんがとてもよい人で
この奥さんの計らいで、オカロランはとあるハープ奏者のもとへ
ハープの修行に出されました。

当時のアイルランドでは目の不自由な人の
ハープ弾きというのがとても多かったそうです。

それまで、音楽の経験などまったくなかったオカロランでしたが、
約3年のハープ修行の後、農場主の奥さんから馬とガイドの人
(オカロランは目が見えないので、案内役が必要だった)
を用意してもらい、その後1738年に68歳でなくなるまでの間
アイルランド中を巡る、旅回りの吟遊詩人として人生をすごしました。

ハープを弾きながらの吟遊詩人として
たくさんのパトロンたちの家々を回るという
まったく新しい人生をスタートさせたオカロラン・・・

さあ、これからどういう話になるか
次回へつづく・・・
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