倉野立人のブログです。

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青木島遊園地存廃問題 =市社協職員の心無い振る舞いに 謝罪の「言葉」はあったけれど=

2023-04-16 | 日記

先日(15日付)のブログで触れた「青木島遊園地で児童センターの子どもたちが記念撮影の際に感謝の気持ちを記した模造紙を掲げることを 長野市社会福祉協議会(市社協)職員が一方的に制止した問題」について、私の周囲でも多くの怒りや嘆き さらには市社協に対する失望感が上げられています。

「市社協職員は、本来 住民(市民)の心情に寄り添い、市民(この場合は主に児童)の側に立って住民福祉の向上をめざすことが職責のハズ。その者が、なぜ児童に寄り添うこと無く一方的に制止に走ったのか理解できない。」

「この市社協職員は、しょせん市の下請け的感覚で現場に出向いていたんじゃないか。子どもにとってどうなのか、より 市にとって都合がイイか悪いかで自分の行動を決めているんじゃないか。」

「これは、市社協職員が長野市へ忖度(そんたく)する行動(考え方)が如実に表れたケースじゃないか。子どもの行為を許すことで、市役所から厳しい評価を受けことを怖(おそ)れて 子どもの気持ちより自分の立場を優先させる道を選んだ。保身に基づく最たる愚行だ。」

等々、市社協職員の心無い振る舞いに対して厳しい意見が相次いでおり、青木島遊園地を廃止に追い込む長野市(市長・職員)の一方的な所作に加え、本来は市民(この場合は児童)の福祉向上をめざすべき市社協職員が 真反対の行動をとったことに 怒りを通り越して大きな失望感を禁じ得ないところでありました。

 

さきの県内大手地方紙の記事に寄せた識者のコメントにもありましたが、今回の市社協職員の心無い行為は 単なる行為を超え、国連が定め 日本も批准している「こどもの権利条約=子どもの意思表明権」に抵触しているとも申せます。

ご案内のとおり「こどもの権利条約」においては、子どもが自分の意思を自由に表明する権利を保障したうえで、各教育段階の学習指導要領でも「主体的な意思決定」や「意思表明の表現」が基本的達成目標とされています。

すなわち 教育現場をして、児童に自分の意思を表明するスキルを付けさせるよう取り組むことになっているのです。

そんな、社会を挙げて 子どもの意思表明を促す時勢になっている中にも関わらず、この市社協職員は 時代に逆行した愚行に走ったのです。

そうです。市社協の職員には「児童福祉の向上」を果たす責務があり、その大前提としては 民主主義の根幹を成す「多様な意見に対する寛容性」があるハズなのです。

まさに それらを踏みにじる形で行なわれた今回の心無い行為は、市社協が如何に硬直した杓子定規の考え方の上に立っているかを示したものであり、図らずも組織の体質を表したものになったところです。

 

 

一方 15日付のローカルニュースで、今回の市社協職員の言動について 市社協の会長名で「子どもたちの気持ちに十分寄り添えずに対応したことを深くお詫(わ)び申し上げる」と陳謝するコメントが出され、事業委託者の長野市も荻原健司市長名で「お詫び申し上げる」とコメントしたことが報じられました。

 

 

 

寺田会長はコメントで「児童には遊園地の存廃についてはかかわらせたくないという思いから今回のような対応となった」とし、「子どもたちに寄り添った支援がさらに充実するよう、全職員が一丸となって取り組む」とした。

コメントの全文は下記のとおりです。

青木島児童センターに関する報道等について

 今回の模造紙の掲示を制限した報道について、子どもたちの気持ちに十分に寄り添えずに対応いたしましたことを、深くお詫び申し上げます。

 青木島児童センターは、社会福祉法人長野市社会福祉協議会が管理運営を長野市から受託しており、青木島遊園地を同児童センターの遊び場として活用してまいりました。

 受託者の本会としては、どの児童センター等においても与えられた施設・設備を適切に活用することを前提として、児童に対し、安全で安心な遊び場、生活の場を提供できるように運営しております。

 本会としましては、児童には遊園地の存廃についてはかかわらせたくないという思いから、今回のような対応となってしまいました。

 今後は、職員同士の意思疎通や連携を十分に図りながら、子どもたちに寄り添った支援がさらに充実するよう、全職員が一丸となって取り組んでまいります。

 なお、このことにより本会の事業運営に関し、多くの皆様に御心配をお掛けしましたことについても、深くお詫び申し上げます。

 

市社協HP

   ↓

お知らせ | 社会福祉法人 長野市社会福祉協議会

 

 

市社協会長はコメントで「児童には遊園地の存廃については関わらせたくないという思いから今回のような対応となった」としています。

これを読んだみなさん、この言い分に納得できますか?

おそらく「否(いな)」でありましょう。

「児童には遊園地の存廃について関わらせたくない」だって?ここまで大人の事情で(子どもを)振り回し ゴタゴタを晒(さら)しておきながら、今さら目隠しをして 一体どうなると言うのでしょうか。

さんざん裏工作を続けておいて、最後だけきれいごとで収めようなどというのは ムシが良すぎる、もっと言えば 子どもを馬鹿にしていると言わざるを得ないところです。

やるべきことは逆です。

主権者たる子どもたちに対し、なぜ この遊園地を廃止しなければならなくなったかを分かりやすく丁寧に説明し、子ども自身からも理解を得ること。

百歩譲って、今回の〝待った〟の行為に対して、なぜそのようなことをしたのか「子どもたちに対する説明責任」を果たすべきでありましょう。

 

なお 市社協会長はコメントの中で「子どもたちに寄り添った支援がさらに充実するよう、全職員が一丸となって取り組む」としています。

このことを真に具現化するつもりなら、直ちに反省の上に立って 他でもない子どもに対して謝罪と説明を行なうべきであります。

 

さらに 事業受託者の荻原市長はコメントで、記念撮影時の職員の対応について「児童や保護者に不快な思いを与えたことに 事業委託者としてお詫び申し上げる」と陳謝。その上で「子どもたちの主体性を尊重することを第一に考えるべきであったと考えている」と述べているとのことです。

 

 

どうにも、言葉だけ 形式だけの〝誠意〟が踊る 長野市ならびに関係団体の所作。

本来は児童福祉を独自路線で訴求すべき市社協が、その実は 受託先の長野市に最大限配慮しながら事業に当たっている。

これでは向いている方が逆であるし、そのうえで そんな忖度(そんたく)をさせるような体質をつくってきた〝元締め〟である長野市の体質が変わらないことには、全体が良くならないのではないか…と 改めて思わされたところでありました。