倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

青木島遊園地存廃問題 =子どもの「思い」の踏みにじる 長野市の〝福祉〟を司る団体の所作=

2023-04-15 | 日記

未だ大きな社会問題となっている「青木島遊園地存廃問題」ですが、事態が佳境を迎えようとしている最中(さなか)に、長野市の関連団体 それも市の福祉を司(つかさど)る団体職員が、あろうことか子どもたちの「思い」に水を差す行為に及んだことが報じられ 憤りと共に、彼らの職責の何たるかに大きな疑問を抱かされることとなりました。

 

県内主要紙の報道によると、長野市が4月末まででの廃止を決めた青木島遊園地について、遊園地の主たる利用者である 隣接する児童センターの子どもたちが14日 遊園地への感謝を示す模造紙を掲げて記念撮影しようとしたところ、センターを管理する長野市社会福祉協議会の職員が「子どもへの押し付けだ」として模造紙掲示を一方的に制限したとのことです。

模造紙に書いていたのは「だいすき」といった シンプルな感謝の気持ちです。で それをシンプルに表現しようとしたのを市社協の職員が阻(はば)んだのです。

にわかには信じられない公僕の者の行為でありました。

 

 

 

この「感謝を表す遊園地での遊び」は、事前に私にも伝えてくださっていました。

ただ、そこに私のような立場の者が出向けば 本来の子どもやご関係者の純粋な思いに水を差すようなことになりかねないと思い、その場に伺うことは敢えて遠慮させていただきました。関係者だけでシンプルに集(つど)っていただき、遊園地への感謝の思いを寄せていただくのが一番ではないか、と。

ところが です。どうやらそんな純粋な行為に 長野市民の福祉向上を図ることを職責とする団体職員が 何とも無碍(むげ)な〝待った〟をかけたようなのです。

 

記事の内容は下記のとおりです。

 最終的に公園の廃止を決めた市が今月17日に原状回復工事を始めるため、子どもたちが公園を利用できるのは14日が最後だった。小学1・2年の約80人は、公園への感謝を書いた模造紙を掲げて記念写真を撮る予定だった。

 センターにはこの日、職員不足を補うため 長野市社会福祉協議会(市社協)から2人が応援に来ていた。子どもたちは全員で公園に出て 模造紙を掲げて写真を撮ろうとしたところ、市社協の指導主事が「全ての子どもがそう思っているわけではない」などとし 模造紙掲示を制限。このことについて 本紙取材班がその場で指導主事に理由などを尋ねたが「答える義務はない」とした。

 メッセージは「ずっとわすれない あおきじま♡ゆうえんち だいすき♡ ありがとう♡」が全文。センター職員が事前に 以前にセンターを利用していた小中学生と相談して内容を考え、赤い模造紙に白い絵の具で手書きして用意したものだった。

 模造紙掲示なしの記念撮影を終えた後、子どもたちは職員に詰め寄り「なんで(模造紙を)出せなかったの?」「出したかったのに」などと尋ねた。職員は理由をはっきり説明できずに「約束したのにごめんね」と繰り返し「残念だ」と肩を落とした。

 取材班は 指導主事の対応についての説明を市社協に求めたが、同事務局は「現時点では事実確認が取れていない」とだけコメントした。

 

言うまでもなく 遊園地を利用するのは「子どもたち」であり、それはいわば「子どもたちが主権者」であることを示しています。

その 主権者たる子どもたちが、心ある大人と相談し「これで青木島遊園地で遊べるのは最後になるかもしれないから、せめて遊園地に対して「ありがとう」の気持ちを伝えたい」と思って そのシンプルな思いを形にしようとした、まさにシンプルな行動に対し あろうことか市の社会福祉を司る団体職員が〝待った〟をかけるとは…その非情ともいえる言動には、半ば呆れるばかりです。

社協職員の言い分「全ての子どもがそう思っているわけではない」は、まさに屁理屈 もっと言えば難癖に近い話しでありましょう。

百歩譲ってみても「遊園地が廃止されればイイ」などと考えている子どもがいるものでしょうか。

う考えているのは、アンタたち大人の方じゃないか。

そんな 大人の事情を子どもたちに押しつける、いわば 無垢な子どもの頬に汚い泥を塗りつけるような蛮行の如くの行為には、怒りを通り越して情けなささえ覚えるところです。

 

しかも、です。

この心無い言動をした者は 児童センターの管理運営を行なう団体職員、本来であれば児童の心情に寄り添い、子どもの福祉向上を最大限に願い 実現に努めることを職責とする立場の者です。

その者が、いきなり対岸に渡り 本来は守るべき子どもたち(の思い)に石を投げるような行為に走ったことは、ある意味 非常にショッキングなことでありました。

 

人というものは、イザというときに 本音や本質が見えるものです。

こと ここに至って、もしかしたら あれほど親しんだ遊園地が廃止されるかもしれない、であるとするならば、せめて感謝の思いを表したいとした子どもたち。

一番つらいのは 他ならぬ子どもたち。これまでさんざん理不尽な思いをさせられ、でもワガママのようなことは言わずに我慢を重ねてこれまでを過ごし、そのうえで せめて最後に「ありがとう」だけを言おうとした子どもたちの思いを踏みにじることになった 福祉関係団体の職員の行為。

まさに 向いている方が違うと言わざるを得ません。

 

このことについて、さらに記事は、識者の見解を載せていました。 

■「子どもの表現の自由を侵害」 専門家ら厳しく批判

 公園の利用主体だった児童センターの子どもたちが感謝を書いた模造紙を掲示するのを長野市社会福祉協議会が制限したことについて、東京未来大の大西斎・元教授(憲法学・教育法)は「子どもの表現の自由に対する明らかな侵害だ」と厳しく批判している。

 大西氏は「感謝を述べる行為自体は社会通念上、意見の対立につながるものではなく、何ら押し付けには当たらない」と指摘。「このような行為が許されれば、何も意思表現ができない社会になってしまう」としている。

 一方、立教大の渋谷秀樹名誉教授(憲法学)も「感謝の気持ちは特定の思想とは関係ない。(模造紙の掲示は)特定の思想や価値観を押し付ける行為ではなく何ら問題ない」と指摘。「感謝の気持ちを有している人の思いを踏みにじる行為であり、許されるものではない」と市社協の対応を批判した。

 子どもの権利に詳しい浦和大の林大介准教授は「明らかな権利侵害。謝罪すれば済む話ではない」と批判。「社協は日頃、権利を擁護する立場にあり、権利侵害に敏感であるべき組織。一職員の資質の問題なのか、組織風土の問題なのか、厳しく追及する必要がある」と指摘した。

 

子どもの表現の自由を侵害するとも言える公僕の者の行為。

一体、何をもって このような行為に至ったか。このことについては質す必要があるでしょう。