今年元日に流れた女優高峰秀子さんの訃報を、わたしは一つの驚きを持って受けとめた。
なぜなら、ちょうどその時高峰さんの本を読んでいたからだ。 『わたしの渡世日記』 である。
昭和の始め、5歳で子役として映画界にデビューして以来、戦前戦後を通じ第一線の役者として活躍した自身の波乱万丈の半生を、率直かつ歯切れのいい文章でつづったものである。
実は今から二十数年前、一時期わたしは高峰さんの夫君松山善三氏と仕事の関わりがあり、一度、こちらからの連絡の電話口で高峰さんの声を直接聞いたことがある。
なぜ高峰さんと思ったかというと、そのしっかりした声質とキビキビした語り口は、長年プロとして修練を積んできた人のものである、と素直に思えたからだ。
そのこともあってか、この 『わたしの渡世日記』 の最終部分、木下恵介監督の助監督をしていた若き松山氏との出会い、そして結婚に至るまでの経緯を読みながら、わたしは自然に目頭が熱くなってきてしまった。
複雑な家庭環境に育ち、子役としても女優としても多忙を極め、心労も多い人生であったことが読み取れるが、その筆致はサバサバとしていて明るく、出会った人たちへの感謝に満ち溢れている。
映画人のみならず、各界の著名人を含むたくさんの人々に愛され、なにより女優として昭和期、ケタ違いに多いファンにずっと愛され続けた人生であった。
高峰秀子。 享年86。 合掌。