くろたり庵/Kurotari's blog~since 2009

総務系サラリーマンの世に出ない言葉

大往生

2011-02-20 23:43:36 | 今日の出来事
先週の日曜日に祖母の葬義があったばかりなのに、
今週は仕事でお付き合いのあった町会長さんが亡くなりました。

享年86歳。
昨年末に体調を崩されるまで、現役で町会長を務められていました。
最期は、病院から帰宅して食事を取り終え、お茶をすすったところで小さく咳き込み、
7~8回ほど辛そうに呼吸をして、すうっと息を引き取ったとのこと。
まさに、ろうそくの火が消え入るような最期だったそうです。

先日亡くなった祖母は、
脳梗塞で倒れてから10ヶ月間、流動食と点滴だけで延命し、
最期は老人性肺炎で息を引き取りました。

人生の末期(まつご)もいろいろです。

「あたしは50歳で仏の道に入った。
 それからは、いつ死ぬのも怖くはなくなった」

生前、祖母がそう話していたのを思い出しました。
祖母も、先の町会長も、奇しくも同じ宗教・宗派でありました。

そんなわけで、二週続けての葬義の週末となりました。

いつも聞いていた先人の智恵と歴史の記憶。
人はいつも、永遠に失ってからその大切さを知るものです。



クレーマー扱いされないために(15)

2011-02-19 23:54:00 | 正しいクレームのつけ方
正しいクレームのつけ方【番外】

番外:ここでちょっとだけ言い訳

こんなコメントをいただきました。曰く、

・「あれをするな」「これをするな」と企業側に都合のいいことばかり。
・企業側の戦略を誇示し、読者を脅迫しているようにしか見えない。
・企業が有意義と判断するクレームの基準を書かなければだめ。
・いかにしてクレーマーを作らないかを最優先することが大事。
・これでは単なる権利の抑制・・・云々。

確かに多くの人が、
「企業に都合のいいことばかり書いている」と感じているのかもしれません。

「ひとつのクレームの背後には、その何十倍もの物言わぬクレームが潜んでいる」
コメントはクレームではありませんが、この法則にあてはめるならば、
このブログを読んだ、ほとんどの人がそう思っていても不思議ではありません。

でも、ここに書いたのは、あくまでも度を越した発言のこと。
一度や二度、「株主総会で発言する」とか「「社長を出せ」と言ったところで、
悪質クレーマーとして扱ったり、弁護士を介入させたりするようなことはありません。

むしろ、担当者にクレーム対応力が欠けていると感じたら、
言うべきことは厳しく指摘すべきでしょう。
時には、文書で回答を要求することも必要だし、
担当者を上司に変えてもらうことも必要になります。

要は「言うべき内容と言い方は、よく考えましょう」ということです。

誰もがそうであるように、
私自信も私生活では、時にクレームを言う立場になります。
頭に血が上れば、これまでに書いたような「禁句」を使って、
企業の担当者に心理的圧力をかけたくなる気持ちはよくわかります。
「要求を通すため」というより、一種の「懲らしめ」の心理です。

企業のクレーム担当者の中には、
私生活ではここぞとばかり、相手をとことん困らせる、
悪質クレーマーに豹変する人もいるでしょう。

でもこんなものは、権利でもなんでもありません。
クレームを言うことと、相手を困らせることとは全く違うのです。

このコメントをくれた人が言うとおり、
企業側のクレーム対応で一番重要なのは、まさに、
「普通のクレーマーを悪質クレーマーに変えないようにすること」です。
一部の確信犯的な悪質クレーマーを除けば、
悪質クレーマーは企業自らが生み出していると言っても過言ではありません。

クレーム対応で、まず真っ先に教えられるのは、この一点に尽きます。

したがって、企業によっては、
「普通のクレーマーを悪質クレーマーにしないためのノウハウ」というものが
教育されていますし、それについて書かれたビジネス本も書店には並んでいます。
また「クレームは宝物」といった内容の、
企業にとってクレームを有意義に活用するためのハウツー本も数多くあります。

しかし、それはこのカテゴリーで書く題材ではありません。

これまで、「総務のお仕事(反社対応)」のカテゴリーでは、
悪質クレーマーにどう対応するか、という視点で書いてきました。

それがなぜ、「クレームのつけ方」の視点で書くことにしたか、
それには、小さな理由があります。

それはある一冊の本がきっかけでした。
その本は、悪質クレーマーのマニュアルとも言うべき内容でした。
ずいぶん昔に、「完全自殺マニュアル」という本が世間を騒がせましたが、
そういった類に分類される本だといえばイメージしやすいでしょうか。

あまりにも腹立たしいので、本のタイトルや著者は宣伝しませんが、
クレームで儲けることを謳ったその本には、以下のような内容が書かれていました。

・怒鳴る、怒る
 最初に威圧的な態度で、こちらのペースを握ることが大事。
・言葉遣いは敬語1割、タメ語9割
 相手が口を挟んだら、「黙ってろ」「人が話してんのに、何言ってんだ」と威嚇せよ。
・時間はいくらでもある
 長期戦で挑め。最後は根気比べ。
・相手にしゃべらせない
 相手の言動はわざと遮れ。真面目に聞いていてはペースを握ることはできない。
・クレームの基本
 ①我々は客である=偉い、②お前らは製造者・販売者=責任がある
 ③責任がある=客の要求には、不条理な内容であっても誠意をもってこたえろ。
・まずは、電話でのクレームで度胸と交渉の流れを学んで経験を積め・・・・・・などなど。

表現や出版の自由を論じるつもりはありません。
ただ、このような本を売って儲けている者がいるということに腹立たしさを感じた次第です。

そこでこれを逆の視点で書いてみたい。
そう思ったのが、このカテゴリーを書き始めた理由なのです。

ときどき視点がブレていますが、それは私の筆力のなさ。
お恥ずかしながら、どうかご容赦ください。


亡き祖母からの贈り物

2011-02-16 23:41:49 | つれづれなるまま
私の田舎では、昔から「おしょしょり」という、
冬ならではの遊びがあります。

良く晴れた冬の夜、放射冷却現象による冷え込みで、
降り積もった雪の表面が凍(し)みて硬くなり、
大人が乗っても沈まないほどになることがあります。

そんな日の朝は、子供たちが雪の上に出て、
普段なら歩くことのできない田んぼや畑の上を歩き回り、
ちょっとした冒険気分を味わうのです。

充分な積雪と気象条件がそろわなければ体験することが難しいため、
私が小学生だったころは、そのような日の朝は先生も気を利かせ、
1時限目の授業をやめて「おしょしょり」の時間になったものでした。

最近では、地球温暖化の影響なのか、
「おしょしょり」のできる機会はめっきり減ったと言います。

祖母の葬義のために帰省した翌朝、
先日の日本海側を襲った大雪で降り積もった雪が、
前夜の放射冷却現象で完全に凍(し)みました。

祖母の葬義がなければ、
私が冬のこの時期に帰省することはありません。
たとえ帰省したとしても、
「おしょしょり」ができるような気象条件に恵まれるとは限りません。

だからそれはまさに、私に子供時代を思い出させるための、
亡き祖母からの贈り物のようでした。

一緒に帰省した子供(祖母にとっては曾孫)には、
生まれて初めての貴重な体験です。
そして私も、「おしょしょり」は、小学校のころ以来です。

葬義のために集まった親族には申し訳ないと思いつつ、
子供とふたりでしばらくの間、「おしょしょり」を楽しませてもらいました。

      
普段は歩けない畑や田んぼの上ですが、
固く凍みた雪原ならどこまでも、どこへでも歩いて行けます。
積雪は約50~60cmといったところでしょうか。(写真をクリックで拡大)

「おしょしょり」は、
ただ凍った雪の上を歩くだけの遊びなのに、
なぜかテンションが上がる不思議な遊びなのです。













順番ってとても大事だと思う

2011-02-15 23:19:45 | つれづれなるまま
亡くなった103歳の祖母の喪主は80歳の長男でした。

ともすれば順番が逆になりかねないほどの年齢でしたが、
幸いにも自然の摂理にかなった大往生となって、
悲しさの中にも、どこか明るさのある葬儀となりました。

順番って、本当に大事だと感じた次第です。

納骨が終わって導師が言いました。
「103歳という年齢は、決して一人では生きられない年齢です。
 いろいろな人との縁があって、初めて生きることができた年齢です。
 そして今日、こうして親戚一同が集まったのは、亡くなったおばあちゃんの縁なのです」

最近、身の回りには年配の独身者が多いように思います。
「結婚したくない」「結婚しても子供はいらない」と言う若い人もいます。

会社では、定年間際の独身男性が脳梗塞で倒れ、
親族は年老いた田舎の両親だけというケーズも目の当たりにしました。
通常なら本人の妻や子供が看病をするところですが、
そのような人はどこにもいません。

「年老いてから面倒を見てもらうために、子供を産むのではない」

若い頃は、誰もがそう言います。
しかしまぎれもなく、人はそうやって世代をつないできました。

親から子へ、そしてまたその子へと血はつながり、
子は親を、そして孫はその親であるその子を見送る。
そんな途切れることのないつながりがいかに大切で幸福なことか。

そんなことを感じさせられた葬義でした。



喪中

2011-02-11 12:30:27 | 今日の出来事
昨日、実家の祖母が亡くなりました。
明治40年(1907年)生れの103歳でした。
これでまた、先人たちの貴重な智恵と歴史の記憶が、
ひとつ失われてしまいました。

そういうわけで、本日、急遽帰省のためしばらくお休みします。

合掌