亡くなった103歳の祖母の喪主は80歳の長男でした。
ともすれば順番が逆になりかねないほどの年齢でしたが、
幸いにも自然の摂理にかなった大往生となって、
悲しさの中にも、どこか明るさのある葬儀となりました。
順番って、本当に大事だと感じた次第です。
納骨が終わって導師が言いました。
「103歳という年齢は、決して一人では生きられない年齢です。
いろいろな人との縁があって、初めて生きることができた年齢です。
そして今日、こうして親戚一同が集まったのは、亡くなったおばあちゃんの縁なのです」
最近、身の回りには年配の独身者が多いように思います。
「結婚したくない」「結婚しても子供はいらない」と言う若い人もいます。
会社では、定年間際の独身男性が脳梗塞で倒れ、
親族は年老いた田舎の両親だけというケーズも目の当たりにしました。
通常なら本人の妻や子供が看病をするところですが、
そのような人はどこにもいません。
「年老いてから面倒を見てもらうために、子供を産むのではない」
若い頃は、誰もがそう言います。
しかしまぎれもなく、人はそうやって世代をつないできました。
親から子へ、そしてまたその子へと血はつながり、
子は親を、そして孫はその親であるその子を見送る。
そんな途切れることのないつながりがいかに大切で幸福なことか。
そんなことを感じさせられた葬義でした。