正しいクレームのつけ方【発言編】
その12.「道義的責任」と「社会的責任」
「道義的責任」や「社会的責任」とは何でしょうか。
たとえば、スーパーマーケットで買ったお惣菜に、
明らかに自分のものとは違う髪の毛が混入していたため、
買ったお店にクレームを言ったとします。
クレーム解決には、大きく分けて「補償」「弁償」「交換」の三種類がありますが、
この場合は、食中毒などの被害が出ていないので「弁償」が一般的な対応でしょう。
瑕疵のある商品(キズモノ)を売ったわけですから、
お店には返金するか、同等のものと交換する法的義務があります。
数百円程度の商品で、実害も出ていないのであれば、
お詫びとともに代金を返してもらって終わるのが通常のはずです。
しかし、これに「道義的責任」や「社会的責任」を持ち出すと、次のようなクレームになります。
□「道義的責任」の場合。
「食べなかったからいいという問題ではないでしょ。
このおかげで、自分は忙しいのに時間を割いて来なければならなかったんです。
それにガソリンも高いというのに、ウチは遠いから車でなければ来られないんです。
確かに被害こそなかったけれど、お店には道義的責任というものがあるでしょ。
いったい、どうしてくれるの」
□「社会的責任」の場合。
「チラシにはいつも『安心安全な暮らしのお手伝い』と書いてあるのに、
この商品管理はあまりにもひどいんじゃないの。
消費者に安心安全な食材を提供するのが、食品スーパーの社会的責任でしょ。
それができていないなんて、どうするつもりなの」
つまり簡単に言えば、法的責任の有無や軽重に関係なく、
「道義的責任」は自分や特定の個人に対して、
「社会的責任」は不特定多数の人々に対して、
どのようにお詫びするのか答えなさい、となるわけです。
企業やお店は、まず第一に「お詫び」をするとともに、
クレームに対して「法的責任があるのかどうか」、
「法的責任があるのであれば、それをどう果たせばよいのか」を考えます。
法的責任を果たし、あるいは果たすことを伝えたにもかかわらず、
「道義的責任」や「社会的責任」をどうするのかと問われれば、
それは法的責任を果たす以上の要求をされているということになります。
「道義的責任」はしばしば「迷惑料」という形で、
「社会的責任」は「謝罪広告」という形で要求されることが多いものです。
しかし、そのどちらにも法的義務はありません。
法的義務のない要求は、クレームの内容に照らして判断することになります。
とくに「社会的責任」は、クレーマーに言われたからといって果たすものではありませんし、
クレーマーに対して何か具体的なお詫びをするという性質のものでもありません。
従っていずれの場合でも、クレームの内容に照らして過大な要求であれば、
それは不当要求、すなわち悪質クレーマーとして扱われてしまうのです。