12月の「くにたち駅前反戦」
日 時 2009年12月10日(木)18:00~19:00
場 所 JR国立駅南口
主 催 くにたち駅前反戦 いつものメンバー6人に新人、反戦運動を卒業研究にしている学生が加わり総勢8人の参加。
駅前は別のグループが宣伝活動をしていため、大学通り入口の「たましん」前に移動して、1時間でチラシ150枚ほどを撒きました
【チラシ】
断ち切れ。日米安保の「論理」
また沖縄が揺れています 沖縄の都市のド真ん中にある、米軍・普天間飛行場。離着陸訓練を繰り返すジェット機の騒音が本当にヒドイ! これぞまさに「爆音」という感じです。昔から危険性が指摘されてきましたが、2004年には、隣接する沖縄国際大学に軍用ヘリが墜落・炎上。さすがに「これはヤバイ」ということで、1996年の日米政府の話し合いにより、飛行場はめでたく別の場所へ移転する・・・はずでした。
ところがその移転先というのは、よりによって、同じ沖縄県の名護市・辺野古湾の沖。貴重な自然が残っています。ジュゴンも泳いでます。ちょっと待ってよ、ということで、住民は粘り強い反対運動を続け、いまだに飛行場の建設工事は進んでいません。
(詳しくは「ヘリ基地反対協議会」のHPをご覧下さい。 http://www.mco.ne.jp/~herikiti)
そして2009年の現在 民主党は普天間飛行場の「県外移設」を公約の一つに掲げ、政権を奪取。沖縄の人々の期待は高まりました。ところが、話は全く進まない。そこで沖縄で住民との対話集会が開かれました。が、結果は次の通り。
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外相、民意より同盟
岡田克也外相が、一民主党員として普天間基地移設に対する地元住民の意見を聞くため、支持者を中心に約80人を集めて名護市で開いた5日の対話集会。県内移設反対を熱く訴える住民に対し、岡田外相は最後まで日米同盟の重要性を主張し、まるで基地受け入れの理解を求めるかのような「説明」に終始。外相の発言に「それは脅しか」と会場が一時騒然となる場面も。失望、落胆、憤り――。対話を終えた参加者からは「絶対辺野古に決めている」「アリバイづくりだ」と怒りの声が相次いだ。(12月6日「琉球新報」)
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とはいえ、外務大臣が沖縄の住民との対話集会に参加したこと自体が「画期的」だ、という意見もあるでしょう。けれど裏を返せば、それが「画期的」に見えてしまうほどに、沖縄の住民たちは長い間、日米交渉の蚊帳の外に置かれてきたのです。
アメリカとの約束を守ることは何よりも優先され、
あらゆる問題はこの原則の下で処理されなければならない
この「論理」は、敗戦後60年間、日米関係(とりわけ安全保障問題)を一貫して支配してきました。政府にとってこの論理は、国民にウソをついてでも守るべきものだったのです(チラシ裏面:「沖縄密約」の記事を参照)。
ですが、私たちは知っています。「日本を守る」はずの沖縄の米軍兵士たちが、アフガニスタンやイラクへ派遣されたことを。在日米軍は日本を守るための軍隊ではありません。仮に米軍の目的が日本の防衛だとしても、憲法9条は米軍の駐留を許さないはずです。忙しくてもテレビや新聞で普天間基地のニュースをチェックして、「しっかり見てるよ」というサインを政府に送りましょう。新しい日米関係を築く、この絶好の機会を無駄にしないために。(2009年12月10日)