引っ越しを終え、スペースFは再スタートを切りました。そこで、にぎやかに「こけらおとし」をしたいと思います。「ゆんたんざ沖縄」のビデオ上映会と居酒屋をセットしてみました。ぜひ、おでかけ下さい。 1987年11月21日に、保護者・市民・教職員で映画「ゆんたんざ沖縄」の上映会を開きました。これは、その後の国立の教育市民運動の出発点ともなりました。「日の丸×君が代」強制の嵐が吹き荒れる今だからこそ、スペースFを続けていきたいと再スタートした私たちは、こけらおとしには、「ゆんたんざ沖縄」上映会がふさわしいと思い、企画しました。一度見た方も、もう一度、ぜひご一緒に!!そしてそのあとの居酒屋で、大いに語りあいましょう!!
日 時 2006年7月30日(日)14:00~
場 所 新スペースF
内 容 14:00~16:00 「ゆんたんざ沖縄」ビデオ上映会 17:00~ 居酒屋 F
主 催 スペースF運営委員会
映画『ゆんたんざ沖縄』
1987年、沖縄で国体が行われることが決まった。 国体といえば、敗戦後、天皇が「人間宣言」をして、現人神から人間になって人々の頂点に再度立つのだという宣言をし、戦争責任などとは無縁な、平和と緑を愛し国民に愛される天皇として認知されるための一大イベントとして位置づけられた。全国をまわる国体に出席することにより、天皇は「巡幸」などと仰々しいことを言わなくても、全国津々浦々にいくことができるという仕組みになっており、天皇制を浸透させるに都合のいいイベントとして行われていった。 国体は、体育に名を借りた儀式色の濃いもので、そこには、天皇とセットで必ず「日の丸・君が代」が登場する。沖縄でも、それは例外ではなかった。それまで、沖縄の学校では、天皇と「日の丸」に象徴される沖縄戦の傷痕と記憶により、また本土復帰運動の中で平和な国日本に復帰するシンボルとして降った「日の丸」にも裏切られ、「日の丸・君が代」は決してよきものとしては存在せず、当然のことながら卒業式・入学式は「日の丸・君が代」のないものであった。ところが、沖縄国体を期して、まずは学校現場から沖縄全土への「日の丸・君が代」強制が始まっていった。 読谷高校でも、校長は卒業式に「日の丸」を掲げると言い張ったため、卒業生や生徒会はたくさんの議論を重ね、「日の丸」強制に反対の声は強くなっていった。しかし校長は、式の当日、生徒や教職員の意見を無視して「日の丸」を持ち出した。それを見た一人の女子高生が、校長の手から「日の丸」を奪いとって、丸めてどぶにつけて捨てた。この場面に遭遇したカメラは、その場面をしっかりと押さえていた。 これを知った読谷村民の知花昌一さんは、国体のソフトボール会場となった読谷村の競技場に「日の丸」が掲揚されることを知り、反対運動を始めた。しかし、ソフトボール協会会長は、「日の丸」掲揚ができないなら、会場を変えると言い出した。知花さんは、やむをえず、大会当日、掲揚台に上り「日の丸」にライターで火をつけた。その後、知花さんの経営するスーパーに右翼が火をつけたりするいやがらせが続いていく。