「背負う」という言葉がある。
荷物を背負う、また責任を背負うとか問題を背負うとか・・・
僕は文字通り、荷物を背負うってことを朝方、ふとんのなかで
考えていた。
幼少時代、まだ木々などが燃料の中心だったころ
古いおばあちゃんと(若いおばあちゃんもいた)山へ薪をとりに
いき、おばあちゃんがつくってくれたこんな木の束を
背負って帰ったものだ。
今思うとたいした大きさでもなかろう、直径3~40センチ
重さだって数キロ、それでもたいした仕事をしてるんだぞと
得意がって家路についた。
で、その木の束をどうやってくくったのか、ワラで編んだ縄だったような
そこらのカズラだったような、それがなんで手を通して背負うことができたのか!?
そんなことを考えていたらウトウトと朝になってしまった。
今の時代、背負うことといえばパックパッキング、フレームもしっかりしてて軽量、
デイパックなんかは大都会でもサラリーマンなどが背負って通勤してるもんね
それでも背負ったり、担いだりということは今の時代めったにしない、
僕のこの絵の二宮金次郎スタイルは日本中をさがしても
お目にかかれない、
昔を想い出して、おばあちゃんを想い出して
それがその夜のブログとなったわけだ。