クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生には“上杉謙信”が伝えた獅子舞がある? ―上村君―

2010年07月29日 | ふるさと歴史探訪の部屋
羽生の“避来矢神社”はいつも心をくすぐる。
ここには“甲石”と言われる石が祀られているのだが、
これは栃木から飛んできたという伝説がある。

栃木というところから、
“藤原秀郷”に深く関係していることは容易に想像できる。
実際に当社は秀郷を祀る神社と言われる(『新編武蔵風土記稿』)。
伝説好きには心の琴線にビンビンくるし、
市外からやってきた人を歴史案内するときは、
コースについ入れてしまう。

なお、毎年避来矢神社では“獅子舞”が奉納されている。
この獅子舞の由来も心をくすぐってくる。
なぜなら、“上杉謙信”が関係しているからだ。

『埼玉の獅子舞』によると、
元亀・天正の頃、羽生城救援に出陣した上杉謙信が、
将兵の士気を鼓舞するために、上野国よりささら舞師を招して奉納し、
武運長久を祈願したという。

これを証明する史料はないが、村ではそう伝えられてきた。
冨田勝治氏の研究によると、
村には“風張城”という羽生城を支える城があったという。
おそらく、自衛のための村の城だろう。
上杉謙信と風張城の接点は見当たらないが、
秀郷を祀る神社とあって“武”の気配が漂う。

ところで、上村君(かみむらきみ)のある若者が、
“説経祭文”を催したところ、
役人からお咎めを受けたという事件が、
嘉永元年(1848)に起こっている(「上村君御用留」)。

説経祭文とは、説経節と祭文が組み合わさったもののことをいう。
世俗の出来事を面白おかしく語る者がいて、
「でろれんでろれん」と合の手を入れる。
いわば村の芸能で、祭文を語る遊行人が上村君にいたという。

そこで注目されるのは、渡船場である。
村には、「千津井下の渡し」と呼ばれる“上村河岸”があった。

往古は、現在とは異なり舟運が盛んだった。
川は、いまでいうハイウェイみたいなものだ。
利根川沿いに位置する上村君村には、
物や人の多くの出入りがあったのだろう。
遊行人が上村君村にいたのも、おそらくその交通と無関係ではない。

物や人の出入りが多いと、同時に文化が盛んになる。
村の若者が説経祭文を催したのは、
そのことを端的に示している。
ある人はそれを「風儀が乱れる」と言う。

千津井上の渡しである“発戸河岸”のあった発戸村など、
田山花袋の小説『田舎教師』に、「発戸は風儀の悪い村と近所から言われている」などと、
書かれてしまう。
それは風儀が悪いのではなく、
ほかの村より文化や価値観が進んでいたことを表している。
利根川沿いの村々は賑やかだったに違いない。

しかし、舟運が廃れたいまとなっては、
当時を想像するのも難しい程の秩序ぶりだ。
「風儀が悪い村」など、おそらく誰も思っていない。
穏やかな田園風景が広がっている。

しかし、先進的な文化を採り入れ、
明るく賑やかに過ごした時代の遺伝子は、
いまも受け継がれているはずである。
獅子舞は悪魔払いや厄除けを目的に行われる行事だが、
威勢のいい獅子のごとく、
いつまでも活気づく村であってほしい。



上村君の獅子舞(埼玉県羽生市上村君)
羽生市指定の文化財である。




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