クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

旧栗橋町の高柳には高貴な人が住んでいた?

2016年10月13日 | ふるさと歴史探訪の部屋
旧栗橋町(現久喜市)の高柳に、
かつて古河公方“足利晴氏”が住んでいたことがある。
御所の古河から高柳に移ったのだ。

年は未詳だが、天文年間の後半と考えられる。
理由も不明。
後北条氏の圧力による影響もあったかもしれない。

高柳は水運の要衝地だった。
会の川、浅間川、渡良瀬川がそれぞれ合流しており、
晴氏が高柳を選んだのもそこに着目したからではなかったか。

ちなみに、足利義明も高柳に在住していたことがある。
足利高基の弟で、晴氏から見れば叔父である。
のちに小弓城(千葉県千葉市)に移って小弓公方と呼ばれる人物だが、
その前に高柳に御所を構えていた時期があった。
ゆえに、義明は「高柳殿」とも呼ばれた。
その御所は宝聚寺の付近にあったと言われるが、その遺構は見当たらない。

ちなみに、「高柳」の名の付く場所は近隣にいくつかある。
児玉、熊谷、騎西だ。
いずれも興味深くはあるが、
有力視されるのは旧栗橋町の高柳だ。
足利義明や足利晴氏が在住していた頃は、
多くの者から注目される地域だったに違いない。
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