クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

1994年、町にコンビニは一軒しかなかった?

2017年02月24日 | ふるさと歴史探訪の部屋
旧大利根町にはコンビニが一軒しかない。
クラスメイトからそう聞いたことがある。
1994年のことだ。

僕はそれまで自らの意志で大利根町へ行ったことがなかった。
その町が具体的にどこにあるのかさえわかっていなかったし、
クラスメイトがどのような経路で通学しているのかも謎だった。

田舎町らしい。
コンビニが一軒だけあって、
夜になると暴走族の爆音が響き渡る。
外灯も少なく、あるのは田んぼばかり。
クラスメイトから聞く「地元」の話はそのようなものだった。

1994年の秋、僕は大利根町まで自転車を走らせた。
何の宛ても目的もなかった。
クラスメイトが住む町を
一度目にしたいというのが動機だったかもしれない。
だからどこにもゴールがなかった。

初めて目にする大利根町は僕の住む「地元」とさほど変わらないように見えた。
低地に広がる田んぼ、
何本も流れる用排水路、
まばらに通り過ぎる人と車。

自転車を走らせながら、
クラスメイトとばったり会う期待感がなかったと言えば嘘になる。
どうせ行くなら会う約束をすればよかった。
声をかければよかった。
そう思った。
しかし、僕はクラスメイトが町のどこに住んでいるのか知らなかったし、
ばったり会うにはあまりに闇雲すぎた。

確かにコンビニはどこにもなかった。
日中のせいか、暴走族の爆音は聞こえてこない。
大利根の道をどこまで走っても、
コンビニの看板は見当たらなかった。

どのくらい過ごしただろう。
帰路に就いたそのときだった。
目に突然飛び込んできたものがある。
デイリーヤマザキ。
緩やかにカーブする道の脇にそれは建っていた。

見付けた! と内心思った。
が、すぐにこうも思った。
コンビニなのか?

デイリーヤマザキの前を通り過ぎた。
店内に人影が見えた気がする。
もちろんそれはクラスメイトではなかった。
記憶はそこで途切れている。
デイリーヤマザキからどのような道を辿ったのか。
川沿いか、それとも国道沿いか……。
綺麗に欠落している。

翌日、クラスメイトに大利根町へ行ったことを話したのだと思う。
しかし記憶がないということは、
デイリーヤマザキが一軒のみ存在するコンビニではなかったということだろう。

では、そのコンビニはどこにあったのか?
それはいまだに謎となっている。
聞けば教えてくれるかもしれない。

僕が目にしたデイリーヤマザキはいまでも存在している。
向かいには郵便局があり、近くに中川が流れている。
店も周囲も記憶と変わらないように思える。
が、細部はだいぶ違っているのだろう。

現在の大利根にはコンビニを多く見かける。
利根川に架かる橋の麓には道の駅もある。
クラスメイトが言った「たった一軒のコンビニ」はいまでも存在しているのだろうか。

小さな謎のようで不思議と心に残り続ける。
事件性は何もないようで妙に心を惹きつける。
手を伸ばしても届かない。
戻りたくても戻れない。
この20年間、大利根のたった一軒のコンビニは、
僕にとってフランツ・カフカの『城』のように、
辿り着くことのできない場所として存在し続けている。

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