クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

みぞれの夜に羽生へ ―「春の町」―

2019年02月22日 | ブンガク部屋
田山花袋の「春の町」は明治40年に発表された短編小説。

  「ああ、友に逢いたい、春子に逢いたい」
  と、再び思った。
  車夫はかかる思いを載せているとは夢にも知らず、川俣、新郷、羽生――
  そこに一刻も早く行着いて、熱い酒を一杯飲んで、早く蒲団に包まりたいと思いつつ
  一歩一歩覚束なく辿って行く。
  (田山花袋「春の町」より)

8年前、日光で出会ったまだ一人前の芸妓ではない「春子」。
その春子をめぐって、言い争いになった友人(国木田独歩がモデル)。
そんな8年前のことを想いながら、
みぞれの降る夜に、羽生に続く道を行くという内容です。

散文詩のような印象を受けます。
感傷癖のある花袋のこと。
主人公の詳しい描写はないですが、
過去を恋しく想うその人は花袋自身でしょう。

この作品で、主人公が思い出しているのは、
「友人」や「春子」のいた8年前の日光旅行の記憶。
しかし、花袋の恋しさは8年前だけに限らないのかもしれません。

それは、もう戻ることのできない過去。
過ぎ去った季節と恋。
いまは会うことのできない人。
目にすることのできない景色や、
複雑に絡み合う人間関係。
そして、過去の自分。

花袋が恋しく想うのは、
自分が過ごしてきた季節の時間たちでしょうか。
出会っては去っていったもの。
胸に去来するそのときどきの想い。

心のどこかで、
過去に戻ることができると思っていたように感じます。
ひょんなきっかけで現れる帰り道。

「春の町」で、主人公が目指す「羽生」は、
花袋が帰りたいと思う「過去」の場としての色彩を帯びます。
つまり、帰りたい過去の暗喩。

現在の埼玉県羽生市に比定される「羽生」は、
作品を読む限り、主人公の居住地でも故郷でもありません。
具体的な描写が何一つないゆえに、
花袋の心象風景の場のようにも読み取れます。

  「これから帰るんですって」
  「うむ……」
  「何処に帰るのですの?」
  「羽生――」
  (同作より)

川向うにある羽生。
川は「現在」と「過去」を区切る境界。
川を越えれば、花袋が恋しく想う人がいる。
帰りたい場所がある。
いや、あるような気がする。

実際に川を越えれば、いつもの羽生の風景。
恋しい人がいるわけではない。
過去の恋が叶うわけでもない。
「いま」の景色が広がっている。

夜に降るみぞれ。
胸に去来するのは、友人と春、8年前の感情。
みぞれが記憶を呼び覚ます……。

「春の町」は、境界である川にさしかかったところで終わります。
みぞれから雪に変わります。
花袋に降り落ちるそれは、
過ぎ去った時間と恋の暗喩なのかもしれません。

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