かつて広大な面積を有していた板倉沼。
37haあり、藺草(いぐさ)が生い茂っていたらしく、
その情景が『万葉集』に詠まれている。
現在は完全に消滅した沼だが、
往古は人々の暮らしと密接していたのだろう。
恵みをもたらす沼である一方、
水の脅威も隣合わせだった。
それを示すように、「沼除堤」が現存している。
これは冠水した板倉沼の水を避けるために築かれたもの。
標高は18、1mを測り、
これは元あった自然堤防を利用したのではないだろうか。
いつ築かれたのかは不明。
定期的に修築もされていたと思われる。
すぐ近くを谷田川が流れ、
水場ののどかな景色が見られる。
昭和54年生まれの僕は、板倉沼を一度も目にしたことがない。
生まれたちょうどその頃に、沼は埋め立ての真っ最中だったことになる。
沼がなくなったいま、沼除堤は不要になったのだろうか。
堤はいささか寂しそうに見える。
相棒を失い、ケチョンとなっているような……。
いや、沼除堤は板倉町の歴史を語る証言者。
沼は消えても歴史がなくなったわけではない。
水場の町・板倉を語る者として、
沼除堤は今日も訪問者に語りかけている。
沼除堤
37haあり、藺草(いぐさ)が生い茂っていたらしく、
その情景が『万葉集』に詠まれている。
現在は完全に消滅した沼だが、
往古は人々の暮らしと密接していたのだろう。
恵みをもたらす沼である一方、
水の脅威も隣合わせだった。
それを示すように、「沼除堤」が現存している。
これは冠水した板倉沼の水を避けるために築かれたもの。
標高は18、1mを測り、
これは元あった自然堤防を利用したのではないだろうか。
いつ築かれたのかは不明。
定期的に修築もされていたと思われる。
すぐ近くを谷田川が流れ、
水場ののどかな景色が見られる。
昭和54年生まれの僕は、板倉沼を一度も目にしたことがない。
生まれたちょうどその頃に、沼は埋め立ての真っ最中だったことになる。
沼がなくなったいま、沼除堤は不要になったのだろうか。
堤はいささか寂しそうに見える。
相棒を失い、ケチョンとなっているような……。
いや、沼除堤は板倉町の歴史を語る証言者。
沼は消えても歴史がなくなったわけではない。
水場の町・板倉を語る者として、
沼除堤は今日も訪問者に語りかけている。
沼除堤
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