クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

その“箱膳”にはどんなドラマが隠されている?

2017年02月27日 | 民俗の部屋
羽生市立郷土資料館において「収蔵資料展」が開催されている。
開館30年以来、同館が収集し保存してきた資料の一部を展示しているというもの。

展示資料の中に“箱膳”がある。
僕は箱膳を使ったことはない。
ちゃぶ台が登場する前は一般家庭で使われていた。

見た目は箱。
箱の蓋を開ければ茶碗や椀、小皿、箸が入っている。
蓋をひっくり返して箱にセットすれば膳になる。
一般家庭では小学生に上がる頃になると箱膳を与えられた。

かつて白米はご馳走だった。
毎日食べることはできず、主食と言えば麦飯や雑穀が多かった。
白米を日常的に食べられるようになったのは、
陸田化が可能になった昭和30年代以降のこと。

味噌汁の具も、豆腐やワカメが入っていることは珍しかった。
主となるのは大根やネギ、ナスといった畑で採れる野菜。
卵も滅多に口にできなかった。
卵の殻が多く捨てられていると、家の中に病人がいるんじゃないと言われたらしい。

おかずも、畑で採れる野菜を調理したものが多かったという。
川や沼で採れた魚を食すこともあったが、現金収入にする人もいた。
肉類は卵を産まなくなった鶏や、高齢化した牛を食用とした。
感謝の念をもっていただいたのだろう。
どんなものも無駄にしないという精神が垣間見られる。

“食”に視線を向ければ当時の“暮らし”が見えてくる。
政治史とは違う側面から地域の歴史や文化を知ることができる。
その土地でどう生き、どんな知恵を育んできたのか。
書かれていない歴史を読む思いがする。

箱膳は次第に使われなくなっていった。
それは戦後のこと。
なぜか? 
理由の一つとして「不衛生」が挙げられる。
食事の最後は注いだお茶で残りかすを取り、それを飲み干して終了となる。
再び食器を箱に戻して片付ける。

つまり洗わないのだ。
石鹸を付けてスポンジでごしごし……ということはない。
皆無だったわけではないが、洗うのは月に数回程度だった。
これを嫌ったのは軍隊帰りの男たちだったらしく、
以来ちゃぶ台に食器を載せて食事をするスタイルへと変わっていった。

星一徹がひっくり返すちゃぶ台文化は案外新しい。
もし箱膳のままだったら、星一徹のちゃぶ台返しは見られなかったことになる。
箱膳をひっくり返す星一徹を想像しても、
次の食事に自分の分だけ食器がない姿が浮かんでしまう。

「収蔵資料展」は5月7日までの開催だ。
毎週火曜日、3月31日、4月27日が休館日。
何気なく展示されている箱膳だが、奥が深い。
そこにはどんなドラマがあったのだろう。
かつて地域の人々の命を支えた箱膳は、
いまは「資料」として生き続けている。

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