クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

女淵城と木戸元斎

2024年06月09日 | 城・館の部屋
天正2年(1574)1月に越山した上杉謙信は、
羽生城将へ宛てた3月13日付の書状の中で、善城・山上城・女淵城を落とした旨を伝えている(「西沢徳太郎氏所蔵文書」)。
女淵城の沼田平八郎は、重ねて金山城の由良氏に同心したためこれを攻略し、
同城に越後衆を置いたという。

女淵城は群馬県前橋市粕川町に所在する。
水堀が印象的な城址だ。

天正2年閏11月に羽生城(埼玉県羽生市)を追われた木戸元斎は、
謙信に引き取られて上野の城に置かれた。
善城が有力視されているが、女淵城に在城した可能性も指摘されており、
もし後者とすれば、水の城という意味で羽生城を彷彿とさせるものがあったかもしれない。

現在の城跡は公園として整備されている。
それぞれの郭が認められ、園内を散歩するにしても、歴史散歩と言うにふさわしい。

本郭の南には、二の郭、三の郭と続く。
二の郭は公園の駐車場となっているが、土塁が認められる。
三の郭に鎮座するのは御霊神社で、
よく見るとここも土の盛り上がりを確認することができる。
さらに南側に所在する竜光寺一帯も、城郭の一部に比定される。

そのほか北曲輪、西曲輪、帯曲輪がある。
民家が建ち、公園として整備されているものの、
往古の姿を偲ぶことは可能だろう。
ときどき通り過ぎる電車(上毛電鉄)と警報機の音が静けさを増す。

城の北西に立てば、赤城山の雄姿が望める。
木戸元斎が羽生城回復を三夜沢赤城神社に祈願したのは、天正6年のことだった。
上杉謙信の関東出陣の陣触れを知った元斎は、
上杉勢の軍事力と赤城神社のご神徳に期待したのだろう。

しかし、謙信は出陣を前に春日山城で倒れてしまう。
元斎の羽生城回復の夢は遠くなり、
もし女淵城に在城していたならば、思い描く未来は水底へと沈んでいったのかもしれない。


群馬県前橋市


赤城山を望む


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