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クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の“公民館”はいつできたのか?

2024年05月06日 | 近現代の歴史部屋
公民館は“地域の学校”と言っても過言ではない。
図書館・博物館と並んで、生涯学習の拠点に位置付けられる。

では、羽生市内において公民館はいつ設置されたのだろう。
現在、市内には9館の公民館が存在する。
全館が同時に建てられたわけではない。
段階を経て誕生している。

最初に設置されたのは新郷公民館だった。
昭和24年9月29日のことである。
「社会教育法」の制定と同年のため、早い時期の設置だったことになる。

次にできたのは岩瀬地区。
同25年5月の設置だった。
同26年11月には井泉、翌年8月には手子林という順番を経る。
そして、同28年4月に羽生町・須影・川俣・村君・三田ヶ谷にそれぞれ公民館が置かれた。

羽生市制施行が昭和29年だから、「村」及び「町」に設置されたことになる。
ただ、設置と言ってもそう単純なものではなかった。
財政困窮と資材不足により、公民館を設置したものの、施設そのものがない時期もあったという。

ところで、「社会教育法」第20条によると、
公民館の目的は、実際生活に即する教育や学術及び文化に関する各種事業を行い、
住民の教養の向上や、健康・社会福祉の増進などに寄与することとしている。

では、その目的を達成すべくどのような事業を行うのか?
それは、定期講座の開設や講演会・展示会等の開催、
体育・レクリエーション等に関する集会の開催や、図書・記録等を備え、その利用を図ることなどが同法第22条で示されている。

ふむふむ。
僕の実家の近くには公民館があり、その敷地はラジオ体操の会場でもあった。
そのため、幼い頃から何度となく足を運んだ身近な施設だった。
毎日目にしていた施設が、こんな風に法律で定められているのを読むと、親近感がさらに増す。

言うまでもないが、学習・教育は学校のみで完結するものではない。
「社会教育」・「生涯学習」の語があるように、学校を卒業したあとも続いていく。
公民館には、実にさまざまな人やサークルが利用しているものだ。
学校と連携して行われる事業もある。

羽生市内では、昭和20年代に公民館が各地域に設置されて以来、多くの人々に利用され、親しまれてきた。
僕自身、近所にあった誼もあって、最も親しんだ公共施設だった気がする。
少なくとも、本庁よりも地域密着型の施設という感覚だ。

そのような生涯学習の拠点としての公民館に改めて目を向けたとき、見えてくるのは「地域の教育力」の側面かもしれない。
実生活に資する知識及び技術、人生を深める教養またはコミュニケーション力を育み、地域をさらに豊かにする。
「学力」とは別の教育の力。
それは「地域づくり」にもつながり、ひいては「国」の活力へと結びついていく。
そう大風呂敷を広げても、的外れではないだろう。

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