クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

執筆にはどんな“儀式”をする? ―作家の秘密道具(7)―

2010年12月25日 | ブンガク部屋
何事も生み出すという行為には苦しみが伴う。
不安でもあり、恐れもある。
しかし、その分だけ生み出した達成感は何事にも代え難いものである。
生み出したものにしかわからない悦びがある。

文芸作品にも同じことが言える。
執筆という行為は楽のときもあれば、
その多くは苦しみでもある。
不安と恐れ、ときには苦痛もある。

もし「趣味」でやるとしたら、
もっと楽なものを選ぶだろう。
少なくとも、「作品」と呼べるものを生み出すには、
多くの汗を伴う。

文芸作品は小説だけに限らない。
論文、エッセイ、紀行文、随筆、詩……。
執筆という行為は、
いまここにはいない別の自分になることなのかもしれない。

脳を切り替え、作品の世界へ入り込んでいく。
それは容易なことではない。
スイッチの切り替えのように簡単には入り込めない。

書き始めても興に乗らなかったり、
不安がムクムクと頭をもたげてくることもある。
乱れる精神を集中させるために、
書き手は何かしらの“儀式”をしている。

北方謙三氏はクシで頭をかっぱいたり、叩いたりするという。
村山由佳氏は執筆前にピアノを弾く。
儀式は千差万別である。
それぞれのやり方、道具を使って儀式を行う。

理路整然とした学者の先生は、
淡々とスマートに筆を執るかといったらそうでもない。
「書き始めが最大の難関」という社会学者の清水幾太郎は、
書き出しがこじれると、「一枚書いては破り、二枚書いては丸める」。

そして、自分の書体やインクの色に気が映っていく。
インクの色がまずいのではないか。
自分の字が綺麗ではないから、
文章もなかなか進まないのではないか。

ようやく書き出しても不安は消えない。
心の中は澄んだ湖面のようではなく、イライラしている。
誰かに声を掛けられても無視。

そこで氏は儀式を行う。
石鹸で何度も手を洗うのである。
すると、気持ちが落ち着くという。
神経質そうに何度も手を洗う学者の先生……。
そこには生みの苦しみに悶える姿がある。

なぜそこまでして筆を執るのだろう。
むろん、仕事ということもあるが、
その根幹には“書かずにはいられない”という内的衝動があるだろう。
それは埋められない心の隙間だったり、
傷、コンプレックスだったりする。
執筆行為そのものが自己救済でなくとも、
その根幹には理を越えた内的なものが存在する。

あなたは筆を執るとき、
どんな行為をしているだろうか?
作家のもった部屋の中から、
クシで頭を叩く音や、
ピアノを奏でる音が聞こえてくるかもしれない。

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2 コメント

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儀式 (treasure)
2010-12-25 08:56:43
畑は違いますが、指揮者の小澤征爾は舞台下手から登場する前、木でコツコツと何かを叩くそうです。靴かな?

私は、翻訳の宿題とかボランティアで翻訳する時は、You Tube で何かしら音楽を聴きます。作業中もiTunesで更に音楽を聴いてますが。。

ところで、「羽生城と木戸氏」買いました。以前の「羽生城」は、当時の市長、三木さん?の「発行に寄せて」として一言あったような気がします。まだ読破していませんが、写真が新しくなっている分、読みやすいような気がします。
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treasureさんへ (クニ)
2010-12-26 22:02:16
小澤征爾氏は木でコツコツですか。
それで何かスイッチが入るのかもしれませんね。
treasureさんは音楽を聴くのですね。
乗りやすい音楽とかありそうです。
ちなみにぼくは、冬の季節は坂本龍一を聴くことが多いです。

『羽生城と木戸氏』の旧版は三木市長の「推薦のことば」が載っています。
確かに旧版に比べて読みやすくなっていますよね。
書店に並ぶ『羽生城と木戸氏』を見ると、
苦労して旧版を手に入れたことが甦ります。
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