クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

子をつれて“新田義貞供養塔”と“金山城主墓碑”へ

2024年01月06日 | 歴史さんぽ部屋
冬休みも残りわずか。
今時の小学生は、タブレットを使っての宿題がある。
しかもタイピング練習。
自分が小学生のときは「タ」の字もなかった。
時代に合わせた教育が考えられているわけで、先生たちも大変だなと思う。

子の宿題に付き添いながら原稿を書く。
脳におけるゴールデンタイムは午前中にある。
宿題も午前にあてた方が能率はいいかもしれない。

妻が娘を習い事へ連れて行ったので、息子と出掛ける。
羽生の「伊勢屋」で昼食をとる。
今年初のラーメン。
店内には、明日の「二十歳の集い」に出席するため帰省中とおぼしき若者が多かったような……。

その後、群馬県太田市へ足を運ぶ。
金龍寺で新田義貞の供養塔と、金山城主由良氏(横瀬氏)の墓碑を詣でる。
お寺やお墓へ足を運んだ際は、本殿と墓碑にそれぞれ手を合わせるようにしている。
親子並んで合掌した。

息子が墓碑を指差したので、それは失礼にあたることを伝える。
人を指差すことと同義である(と思っている)。
マナーにもいろいろあるが、相手を敬う心は持っていたい。
ということが、息子に伝わったかな。

金龍寺から“史跡金山城跡ガイダンス施設”は近い。
金山城の発掘調査を基にした展示構成となっている。
文献だけではこの施設はできなかっただろう。

コントローラーを持ち、画面上で金山城を自由自在に散策する「城ナビ」がある。
これが息子の心をくすぐったらしい。
飽きずにしばらく金山城散策を満喫していた。

ふと、岐阜城下の資料館だったか、同じようにコントローラーで操作しながらCG散策したのを思い出す。
コントローラーはなかったが、七尾城の資料館ではCGで再現された同城が映し出されていたのが印象的だった。
今時の展示方法だろう。
博物館学における展示論も、時代に合わせて変わっていくに違いない。

ガイダンス施設を出たのは五時近かった。
展望台にも本丸にも足を運ばなかった。
そのまま帰路に就く。

金山城に関する参考文献は多い。
帰宅後は、とりあえず『群馬県史』の横瀬氏や由良氏の項を再読する。
いずれ、どの県史や市町村史も気軽にデジタルで読める時代が来るのだろう。
(国会図書館ではそのサービスを始めている)
文庫化したら面白いのだが……
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