クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

西新田から熊谷へ、のち雪

2024年01月13日 | 歴史さんぽ部屋
羽生市内の西新田集会所で学級が開かれ、依頼を受けて講師を務める。
テーマは新郷地区の歴史と文化財。

少し早めに家を出て、羽生市上新郷に鎮座する白山神社を訪れた。
空は青く、午後から雪が降る予報が嘘のように晴れ渡っていた。

利根川の拡幅工事がすぐそこまで迫っている。
社殿はすでに南へ移動済。
土台だけを残す旧社殿は、いずれも土手下に埋もれてしまうのだろう。

ここに来るたび、あの年の秋を思い出す。
当時、境内には木々が鬱蒼と生い茂っていた。
高木が数本立ち、隠れ家的な雰囲気に包まれていた。
ここに加藤清正にまつわる伝説が眠っていることなど、当時は知る由もない。
明治43年の大水では、現在の白山神社から東手で堤防が切れたという。

中学生の頃や1994年の冬、土手中腹のサイクリングロードを使って利根大堰へ向かった。
そこを通るたび、意味深に視界に入ったのが白山神社だった。
あの頃の感受性をもって同社を見ることはできない。
そのサイクリングロードも間もなく姿を消す。

すぐに忘れられるだろうと思っていたものは、大人になったいまも記憶に残っている。
何気ないとき、ふとしたときにそれを思い出す。

忘れられるはずがない。
忘れることは、記憶が消えることと同義ではないからだ。
デティールは別にしても、記憶として残り続ける。
忘れるものがあるとすれば、当時の感性や感情、想いの方なのだろう。
だから痛みや苦しみは時間と共に和らいでいく。
流れる血は、少しずつ少なくなっていく。
あの頃のことをそのまま書こうとしても、リアリティが薄れるのはそのためだ。

残り続ける記憶はいまの自分を照射し、行動や心理に影響を及ぼしている。
なぜ、あのとき自分はそこにいたのか。
なぜ、あのようなことが起こったのか。
数百年、数千年前の歴史を読み解くより、時に自分の軌跡において起こったことの方が、解けぬ謎かもしれない。

土手上でそんな想いに耽ったあと、西新田集会所へ行く。
旧石器時代から現代まで、地域における歴史の流れを追う。
近現代に入ると、参加者が自分の体験したことを教えてくださった。
本には載っていない貴重な話ばかりである。
なお、参加者の一人に父をよく知っている方がいた。
年齢が父の一つ下だという。
あとで父に話してみよう。

終わったあと、上新郷の「いせや」へ行くのがお決まりのパターンだった。
町中の「伊勢屋」とは味が違う。
だから選べる楽しさがあったのだが、上新郷の「いせや」は閉店してしまった。
少し隙間風を感じつつ集会所を出た。

その後、埼玉県立熊谷図書館へ流れ着く。
机に座って書き物をする。
短編というか随筆というか、亡き考古学者に想いを馳せたもの。

県立熊谷図書館が取り扱うジャンルの一つは「歴史」だ。
書架の間に立つだけで論考の雨に打たれる思いがする。
さまざまな人がそれぞれの観点で論述している。

史料集もある。
特に、『大日本史料』で埋まった書架は圧を感じる。
確かではないが、映画「シン・ウルトラマン」で主人公が図書室とおぼしき場所ページを捲っているシーンがあったが、その背後の書架に埋まっていたのは『大日本史料』ではなかったか。
(ネットで検索したら、ロケ地は千葉県立図書館だったらしい)


さほど長居はせず、帰宅する。
夕方から急激に気温が冷え込み、窓の外を見ると雪が降っていた。
息子の提案で、「スーパーマリオブラザーズ」の映画を観る。
マリオ世代としては、結構面白く観ることができたと思う。
展開もスピーディで、畳みかけてくる。
ただ、クッパの魂の歌声を聴いてしまうと、なかなか耳から離れない。
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