クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

美しい自筆原稿の裏には何が隠されている?―作家の秘密道具(6)―

2010年12月22日 | ブンガク部屋
『近代作家自筆原稿集』(東京堂出版)に収録された“嘉村礒多”の自筆原稿は美しい。
「美しい」の表現が適切かはわからないが、
判を捺したような綺麗な文字を書く。

字はその人を映す鏡のようなものだから、
礒多は几帳面で、完璧主義者だったのかもしれない。

しかし、果たしてそれだけだろうか。
嘉村礒多は私小説作家である。
主な作品に「秋立つまで」「途上」がある。

自分の周辺から素材をとり、
過去をも題材にして書く。
人は経験したものを書くのが最も書きやすいが、
礒多の場合、それをモデルにするのではなく、
そのままむき出しにして表す。
告白をすることで、罪悪感や劣等感から自己を救済する手法である。

いわゆる自己救済のわけだが、
書くことで救済されるならば、
その後書く必要性はなくなってしまう。
救われてしまった作家は、もう書くことができないのだ。

むろん、時間が経てば別の問題に悩まされたり、
一度書いた題材が再び心を疼かせるかもしれない。

しかし、この手法では連続して作品を書き続けることはできない。
すぐに行き詰まってしまう。
自己をのみ題材にする限り、書くべき内的衝動はすぐに枯れる。
現に礒多は寡作のままこの世を去る。

礒多はペンを執ることが苦しかったのではないだろうか。
いざ机に向かっても、
原稿用紙を睨んだまま、一向に書き出さない(せない)。
彼が師事した“葛西善蔵”のように。

善蔵は1日に2枚書ければ有頂天だったという。
礒多もそんな遅筆だったとすれば、
原稿用紙の枚数よりも、
升に埋める文字を書く時間の方が多かったのかもしれない。

ゆっくりと丁寧に文字を書く。
次に書く行は思い浮かんでこない。
再び書き出すまでたっぷり時間はある。
あるいは何度も清書をしたのかもしれない。
礒多の美しい自筆原稿は、
寡作作家の苦しみを映し出している気がしてならない。

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