クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

昭和61年には羽生で何があった? ―子ども学芸員―

2014年11月26日 | 子どもの部屋
昭和61年に羽生で起こった主な出来事は以下のとおり。

 3月、南羽生土地区画整理事業に着手
    第1回中央公民館まつり開催
 6月、バジオ新市長ら11名が羽生を訪問
 8月、図書館・郷土資料館がオープン

かつての南羽生駅周辺を知っている者なら、
いまの光景は全く別の場所に見えるだろう。
かつて南羽生駅周辺は田畑の広がる牧歌的な景観だった。
民家がないわけではなかったが、
現在のように新興住宅が林立していることはなかった。

とはいえ、昭和61年当時まだ幼かったぼくは、
南羽生駅周辺の景色はうる覚えだ。
写真で見る機会もほとんどない。
地図で当時をうかがい知るくらいだ。

現在の景観へと変わる事業が、昭和61年3月に始まったことになる。
大型ショッピングセンターもできた影響もあって、
今後も変わり続けるのかもしれない。

なお、図書館・郷土資料館がオープンしたのも昭和61年のことだった。
「郷土資料館ってどこなの?」という声があるが、
図書館を入ってすぐ左の展示室が資料館のスペースだ。
毎年開催されている企画展は、郷土資料館の事業ということになる。
すなわち、一つの建物の中に、図書館と資料館が併設されているのだ。

とはいえ、その建物を「図書館」と捉えている人がほとんどだろう。
ぼく自身、ずっとそう思っていた。
展示開催は、図書館の職員が関わっているものとばかり思っていたが、
実際は資料館職員の手によるものである。

初めて図書館に行った日のことを覚えている。
母に連れられて行ったのだが、
どの本を借りるかひどく迷ってしまった。

当時は、1人につき5冊までの貸し出しだった。
膨大にある本の中から5冊を選ぶのは難しい。
特に当たりを付けていたわけではない。
5冊借りなければならなかったわけでもない。
迷いに迷った末1冊だけ借りたのだが、
いま思えばタイトルを記録しておけばよかった思う。

現在は1人10冊までの貸し出しとなり、
閉館時間も6時までとなっている。
市民に親しまれる図書館・郷土資料館として定着している。

ちなみに、昭和61年当時、
ハレー彗星が大接近したことが話題になっていた。
また、伊豆大島三原山大噴火により、
島民が避難を余儀なくされた年でもあった。

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