クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の“砂山”には本当に砂山があったのか? ―子ども学芸員―

2015年08月09日 | 子どもの部屋
羽生市内に「砂山」と呼ばれる地域がある。
初めて耳にしたときは、読んで字のごとく「砂の山」があると思っていた。

そのイメージは間違ってはいない。
実際にこの地域には砂の山が連なっていた。
かつて古利根川の営みによってできた“砂丘”である。

いまも砂山を流れる“会の川”が、かつての利根川だった。
川が土砂を運び、それを巻き上げる冬の風によって、
川沿いにはいつしか大きな砂丘が発達した。
これを“河畔砂丘”(かはんさきゅう)と言う。

いまでもその一部を見ることができるが、
高度経済成長期以前はもっとすごかったらしい。
一番高いところで7メートル近くの砂丘があり、
その上を松林が覆っていた。
第2次世界大戦のとき、戦車をこの松林に隠すという話も持ち上がっていたそうだ。

しかし、高度経済成長期のとき、どんどん作られる高層ビルの材料として、
多くの砂が必要とされた。
河畔砂丘の砂は良質で、業者から目を付けられたらしい。
砂は瞬く間に売れ、往古の利根川の営みを伝える地形は姿を変えた。
松林は伐採され、砂丘は容赦なく削られる。
いまも残っているとはいえ、
往時に比べたら微々たるものなのだろう。

河畔砂丘は会の川沿いに発達していた。
ゆえに砂山だけのものではない。
ただ、その地名は地形に由来するものである。
地名は地域の歴史を紐解くカギでもあるのだ。

ところで、この砂山村にいつから人が住んでいたのだろうか。
おそらく、舟運によって人の行き来はあったと思われるが、
水害によって大きな集落には発展しなかったのだろう。
『新編武蔵風土記稿』によると、文禄の頃に開墾されるようなったという。

文禄年間は1592年~96年である。
実はこの時期、一つの事件が起こっている。
それは、会の川の締め切りだ。
二つに分かれていた利根川の一つ(会の川)を締め切り、
東へ流す工事が文禄3年(1594)に行われた。

これが利根川東遷の第1期工事と言われるが、
その後の研究で忍藩による単独事業という説が浮上している。
文禄3年当時、会の川はすでに利根川の主流ではなくなっていたが、
その流れを締め切ったことで、流域の村々は安定するようになったのだろう。

砂山村に開墾のクワが入り、やがて人々が定住するようになった。
上掲書には、「新田」の文字の付く小名が3つ見られる。
すなわち、白石新田、新田前、稗田新田である。

江戸時代初期に開墾が始まり、新田の数も増えていった。
締め切られた会の川は細々とした川になり、
少なくとも村を飲み込む大河ではなくなった。
そこで獲れる魚は、村人のたんぱく源になったようだ。

大型ショッピングモールができたことによって、
砂山も全く影響がないわけではない。
昔では考えられないところが交通渋滞となり、
道路も新しく敷設された。
開発によって、「砂山」は消えていく一方だろうか。
ぼくらが遊んでいた頃の砂山の景色は、すでに遠い昔になっている。

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2 コメント

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Unknown (miunosuke)
2022-07-07 14:49:34
羽生市の砂山地区の「砂山」について。
すでにご存じであれば申し訳ありません。国土地理院の地図サービスに「地図・空中写真閲覧サービス」なるものがあります。
検索していただくとすぐに出てきます。このサービスでさまざま空中写真を閲覧できますが、羽生、加須地域では古いものは1942年から見ることができます。操作方法は長くなるので省略しますが、例えば、1960年の串作、砂山地区の空中写真は
KT60AEZ(整理番号)CA111(コース番号)968(写真番号)で登録されています。
写真では砂山地区の「砂山」を見ることができます。まさに”異様"ともいえる威容を見ることができます。「志多見砂丘」のように残っていないのが残念です。
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miunosukeさんへ (クニ)
2022-07-16 11:16:19
貴重な情報をありがとうございます。
同僚が埋蔵文化財関係ということもあって、彼からも国土地理院の地図サービスを教えてもらったことがありました。
色々な方にご教示をいただき、とてもありがたいです。
空中写真はじっと見つめてしまいますね。
しかも見飽きません。
開発の波が著しい昨今、古写真は貴重な資料になっていることを実感します。
自分が幼い当時の空中写真を見ると、いまはいない故人が偲ばれて、いささかノスタルジックになります。
砂丘にも、きっと色々な方の思い出が残っているのでしょうね。
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