クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の桜の下には……(11) ―清水卯三郎生誕の地―

2007年04月09日 | ふるさと歴史探訪の部屋
羽生城下町(宿場町)を南北に通る道の一角に「入山商店」があります。
埼玉県羽生市中央2丁目に所在し、
川端康成たちが宿泊した「羽生館」が道路を挟んだ向かい側に建ち、
近くには「通見社跡」や「羽生小学校跡」(現中央公民館)と、
何かと由緒ある史跡が点在しています。
その入山商店の敷地内に1本だけ立つ桜。
この桜の下には清水卯三郎の幼き日の記憶が眠っています。

清水卯三郎(しみずうさぶろう)は羽生出身の洋学者。
つい最近までほとんど忘れ去られていた人物でしたが、
長井五郎氏や渡辺隆夫氏の研究によって、
その生涯と功績が知られるようになりました。
いち商人として渋沢栄一らと共にパリ万博に赴いたり、
外国の文化を積極的に日本に取り寄せたりし、
少なからず日本の近代化に影響を与えた人物です。
1980年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」にも登場しました。
(“児玉清”が瑞穂屋卯三郎(清水卯三郎)を演じました )

その卯三郎の生家が、現在の「入山商店」にありました。
往時は豪家として栄えた清水家でしたが、いまは途絶えてありません。
卯三郎は清水誓一の三男として羽生で生まれ、
幼少時代をここで過ごしました。
しかし、腕白だった卯三郎は11歳のとき、
母の実家「根岸家」(埼玉県大里村)に預けられることになります。

根岸家は地方きっての豪農、大地主。
寺門静軒(てらかどせいけん)などの文化人が訪れ、
卯三郎はここで大きな影響を受けるのです。
腕白がすぐになくなるわけではありませんでしたが、
根岸家で見聞きしたものはその後の人生の重要な伏線となっています。
17歳で漢学に目覚めた卯三郎は、
根岸友山に願い出て本格的に学問に取り組んでいます。
以後、彼の視線は外に向けられ、のちに海の向こうへと進んでいくのです。

幼き日に過ごした羽生の地を、卯三郎はどう捉えていたのでしょう。
彼の原風景であったことは間違いありません。
少年時代、腕白で手がつけられなかったという清水卯三郎。
現在の生家跡には「清水卯三郎生誕の地」という小さな案内板があるだけですが、
そこに立つ桜の木の下には、彼の幼き日の記憶が眠っています。

※「羽生館」については2006年12月2・3日の記事を参照にして下さい。
 なお、清水卯三郎の概略については、
 2006年8月2日の記事「清水卯三郎―羽生の正光寺―」で紹介しました。

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