素直な疑問符
小鳥に声をかけてみた
小鳥は不思議そうに首をかしげた。
わからないから
わからないと
素直にかしげた
あれは
自然な、首のひねり
てらわない美しい疑問符のかたち。
時に
風の如く
耳もとで鳴る
意味不明な訪れに
私もまた
素直にかしぐ、小鳥の首でありたい。
吉野 弘
博多のアクロスに登ったあと、川縁で休むユリカモメ君に会いました。
足が赤いので、去年生まれたばかりの子だとわかります。
冬は初めてなんだね?
なおも川縁を行くと、お散歩がてら餌を与えている人に出会いました。
こうやって橋の上から見ていると、なんだか鳥たちとは見えない紐か何かで繋がっているようにも見えて、今にも空へと鳥たちもろとも舞い上がるんじゃないかなんて想像して、ひそかにおもしろがっていました。
それにしても、この子たち、意外に悪食なんだそうで、それだからこそこんな都会でも逞しく生き抜いていけるんですね。
ユリカモメというとやっぱり冬の鳥。
僕は彼らの夏の顔をまだ知りません。
で、以前ちょっと調べてみて、驚愕の事実を知ったのでした。
この子たち、日本では清純そのもの純白なイメージですが、夏はユーラシア大陸でガングロ娘に変身しているらしいのです。
で、日本に戻ってくる頃には、すっかり清純派に。
カラスと同じようにゴミを食っても、ご覧のように寵愛を受けておりますの。
............。A(^_^;
と、足下からふうわりと飛び立ち、欄干に留まったものが。
どうやら、ハシブトガラス君のお食事を邪魔してしまったようです。
クチバシには、パンくずのようなモノが。
よく見ると、右足を骨折しています。
この頃では、カラスを見ると目の敵にして、差別攻撃を加える人があとを絶ちません。
カラスだって、立派な野鳥なんですけどねぇ。
カラスは悪者とひとたびレッテルを貼られると、とたんに情け容赦なく攻撃する人間。
日頃の鬱憤をぶつけるのか、本当に悪いのはカラスなのかと問うてみることもなく、残忍な仕打ちを楽しんでいる。
ほんの少し時代を遡れば、カラスは一目置かれ、神聖視もされた鳥でしたのに。
熊野の 八咫烏(やたがらす)や、厳島では御鳥喰式(おとぐいしき)なんていう神烏(ごがらす)のための神事があるくらい。
聖域という空間を失い、神聖さと言う感覚を失い、公共性というものさえ私物化する、そんな国では、カラスだけにクロウ(crow)が絶えないようです。
がんばって生き抜くんだよ!
足どり
見しらぬ人の
会釈をうけて
こちらも丁重に会釈をかえした
二人のあいだを
ここちよい風がふいた
二人は正反対の方向へあるいていった
地球を一廻りして
また出会うつもりの足どりだった
竹中 郁
そんな事を考えながらアクロスに戻ってみると、むつまじくハシボソガラスご夫妻が水遊びと洒落こんでおりました。
かたわれが見守る中、のんびり水なんか飲んだりして、のどかですねぇ。
こんな罪もない鳥の、何をとがめ立てしようと言うのでしょうか。
白黒はっきり!なんて息巻く御仁も居られるようですが、善悪なんぞというものもしょせん人間が生み出したものではありますまいか?
人間の勝手な都合で運命を翻弄されるなんて、あたしゃまっぴらでござんす。
アホ~ アホ~ アホ~!