般若心経

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四国八十八ヶ所

般若心経

2018-01-11 | Weblog
1827

 「おちゃめに100歳寂聴さん」



 瀬戸内寂聴さんの秘書瀬尾まなほさんの初出版の本です。
先月、朝日新聞のエッセー「寂聴 残された日々」に紹介されていましたので図書館で借りて読んでみました。暮れに寂聴さんと瀬尾さんのインタビューが放送され、ちょうどよいタイミングでした。
以下デジタル朝日(12.14/2017)より
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そのまなほが今度、初めての本を出版した。というより出版させていただいた。『おちゃめに100歳! 寂聴さん』(光文社)という題は出版社がつけた。つまり私の日常をまなほの目で見たエッセーである。たちまち人気を呼び、すぐ再版になり、テレビ、ラジオの取材に連日追い回されている。人気のもとは、文章が素直で、わかりやすく読みやすいのと、全ページに思わずふき出すユーモアがあふれているせいである。あっという間にまなほはインターネットでも「時の人」になった。
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  寂庵の一日
  瀬尾さんの生い立ち
  寂庵への就職
  寂聴さんのこと
  寂聴さん二度の大手術
  貧困や虐待に苦しむ女性を支援する「若草プロジェクト」など

寂聴さんの書評どおり文章が読みやすく、読み始めると一気に読み終えました。


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2018-01-09 | Weblog
1826

 厄 年

 新年を迎え神社やお寺では「平成三十年 厄年」として大きな看板が出されています。男性の42歳、女性の33歳、男女61歳の厄年がよく知られています。
この厄年の年齢の数え方ですが、社寺の看板や暦によるといずれも”数え年”によるとなっています。











 数え年は昔用いられていた年齢の数え方で今では年齢は満による数え方が普通になっています。これは昭和24年に「年齢のとなえ方に関する法律」が制定され、この法律に「年齢を数え年によっていた従来のならわしを改めて、満年齢によって言い表わすよう心がけねばならない」と定められたためです。
それにもかかわらずなぜ厄年は数え年で数えるのでしょうか?
あれこれ考えてみました。
 ひとつの理由に神社、お寺の昔からのしきたり、伝承行事として行われてきたことがあり、法律ができたからといって、古くから42が「死に」、33が「散々」などと覚えやすい語呂合わせが世間に浸透していることも相まって”厄年の42歳、33歳”を変更することに抵抗があったのではないでしょうか。満で数えれば一つか二つ若くなりますから。
 もうひとつの理由として、数え年は生まれたときを1歳として、お正月を迎えるごとに1歳を加えます。ですから暦上の一年間と年齢の一年間が合致することになります。つまり数えで厄年の人はお正月に一斉に厄年になるためお正月にまとめて厄払いの祈願、祈祷を行うことができます。神社やお寺としても都合がよいわけです。
満年齢では誕生日に1歳加算しますので、誕生日ごとバラバラに厄年になることになります。社寺の側とすればまとめることができなく効率が悪くなります。
このような理由もひとつあるのではないかと大変失礼な邪推をしたのですが当たらずとも遠からずの気がします。
(神社やお寺がお正月以外に厄除け祈願祈祷を受け付けていないということではありません。念の為)
 さらに加えて古くから干支が年賀状をはじめ我々の生活に深く浸透していることも一因にあると思います。例えば今年は戌年、1月1日に生まれた人も12月31日に生まれた人も戌年です。暦年に厄年がつけられる数え年と同じ考え方です。同じ干支の人は誕生日に関係なく同時に厄年になります。仲間意識、一体感が生まれます。
このようなことから数え年がずっと残っているのではないのでしょうか。

 ところで昨年の大晦日にゆく年くる年で放送された厄除け大師として知られている神奈川県の川崎大師では数え年ではなく満年齢によって厄年を数えています。満年齢の42歳とか33歳とかです。そして毎日厄除けの祈願を受け付けています。
http://www.kawasakidaishi.com/profit/yakudoshi.html
あたらしい考え方のお寺だと思います。
ただし一般にいう61歳の厄年だけは川崎大師では満年齢の60歳としていますので、数えの生年と同じになっています。

 また年齢の節目として喜寿、傘寿、米寿などの長寿祝いがあります。これも厄年とおなじく数え年によっている場合が多いようです。
しかし、4年前になりますが、天皇陛下が満年齢で80歳の誕生日をお迎えになられたときに傘寿のお祝いをされていました。天皇陛下のお祝いですから宮内庁や関係省庁で十分な検討をしたうえで満年齢でのお祝いとされたのでしょう。
https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg9049.html

 私の周りの人たちは厄年や祝い年は数えによると考えている人がほとんどです。
厄年はその一年間を対象に考えられ、神社やお寺から”数え年で”といわれているため変更することは難しいところだと思いますが、祝い年はその年ではなく”誕生日”をお祝いすることが多いため次第に満年齢によるお祝いが増えてくるような気がするのですがどうでしょうか。

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2018-01-07 | Weblog
1825

大学講座

今回のテーマは
「ふるさと倉敷市内の城について (1)児島稗田地区(実地編)」

 倉敷市内に確認される城跡、今回は児島稗田地区の「稗田の城山」(稗田城または畷城とも)の現地見学でした。地元自治会からも参加され総勢30名ほど。
麓の自治会集会所で座学の後、山に登りました。
 500年ほど前、石垣、土塁が巡らされ館が築かれていたという山頂は今では木や蔦が茂り、ここが城跡であると聞かなければ想像だにできません。
 海と村をつなぐ峠道を押さえる要所として建てられていた砦、また砦を守っていた人たちの生活を想像し、しばらく思いを当時に馳せました。








古文書に記された中之井戸
井戸は現在の地図と古文書の図面とを照合するうえで大切なマーカーとなる



講師
岡山学院大学 岡山短期大学 尾崎 聡 教授


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2018-01-05 | Weblog
1824

JRみの~五岳山~善通寺~JR丸亀

1月3日
 三が日だから少ないだろうと思っていたのですが、老若男女大勢の人が登っていました。
中山下りで後ろから中年男性に抜かれました。「どちらまで?」と聞くと「善通寺まで」との答え。「私と同じですね」と言おうとしたら「善通寺で折り返し鳥坂まで」と。
なぬ! 折り返しとな? コース往復なのです。 「同じですね」と言わなくてよかった。
その後走ってきた若い男性2人に抜かれました。聞くと来月24日に五岳山でトレイル大会が開かれ、男女別にシングル、ダブルの4コースがあり、ダブルは五岳山を2周するとのこと。
想像を超える人たちがいるものです。片道だけですごいだろうと自負していた自信がボキン!
 だけど話を聞いてのんびり歩いているだけではだめだとややスピードアップしたため、いつもより30分ほど早く到着することができました。


出釈迦寺奥の院




善通寺金堂


善通寺うどん





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2018-01-03 | Weblog
1823

初詣 こんぴらさん




昨年の台風18号により奥の院への参道が崩壊され通行止め


天水桶の一円玉


昨年うまくできなかった二階建て   9歳の孫が一回で成功


灸まんうどん  ざる小 @300 ちくわ、うずら各@90



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2018-01-01 | Weblog
1822

謹賀新年


 今年も皆様方にとって よい年でありますように

 平成30年 元旦
       Fanjarishu