般若心経

写経
四国八十八ヶ所

般若心経

2019-06-21 | Weblog

 朱印帳

 先日四国八十八ヶ所をお参りしたときのことです。
第三十五番清瀧寺、ここは山の上のお寺へつづく道が狭く、つづら折りになっており、自動車での参拝が八十八ヶ所の中で一番の難所だと云われているお寺です。今回のバスツァーでは麓より少し離れたスーパーの駐車場にバスを止めて、そこからマイクロバスに乗り換えて参拝しました。
 参拝を終えて全員が駐車場に戻ったところ、納経帳を持って行った添乗員さんだけが帰ってきません。添乗員さんはマイクロバスとは別便のタクシーで先に納経所に向かっていたのですが。「清瀧寺は特に道に迷いやすいお寺ですから気をつけてください。もし迷ったらすぐに電話してください」と電話番号まで言っていた添乗員さんが帰ってこない、「添乗員さんが迷子になった。電話してみようか」などと車内に笑いが広がりました。
 10分ほど遅れて添乗員さんが帰ってきました。聞くとお寺で神社の朱印帳への押印を断られたそうです。添乗員さんはずいぶんとお願いしたのですが、だめだったそうです。
今、御朱印がブームになっており、お寺としてはひとつのけじめをつけるつもりがあったのかもしれません。添乗員さんも大変だなと思いました。
 無事に出発したバスの中で考えるに
明治新政府になるまでは神仏習合とか神仏混淆とかいわれ神社の中に神社を管理する別当寺がおかれていました。また寺院の中に鎮守として神社を祀っていました。いまでもお寺の中に神様の祠や鳥居を見ることはよくあることです。そのことから考えると別に神社とお寺の御朱印が同じ朱印帳であっても支障はないような気もします。
 一方、神道にとっての「死」は穢れであり、忌み嫌うという考えがあります。お葬式のときに神棚封じといって神棚の扉を閉じ、前面に半紙を貼り神様から穢れを遠ざけます。このことからもし、神社の御朱印即ち神様を記した朱印帳を棺に入れるようなことがあっては 大変なことになります。
このようなことがないようにお寺が気を使ったのではないかとも思いました。
 ところで私は現在八十八ヶ所の納経帳を3冊持っていますが、すべての最後のページに石鎚神社山頂社の御朱印を押してもらっています。もし棺に入れるときには切り取るように付箋でもつけておかなければならないかな、でも棺に入れること自体気づいてくれるだろうか、などとバスの中でうつらうつらしながら考えました。

 話は変わりますが、もうひとつ神様と仏様のこと、鳥居の話です。
第四十一番龍光寺でのことです。このお寺は「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、長い石段の最上部正面にお稲荷さんが祀られ、中腹に龍光寺本堂と大師堂があります。参道の入り口には鳥居が建っています。
 お参りを済ませて帰り際、別の団体の先達さんが「今日はお寺に来たのだから、鳥居はくぐらないように」と参拝者に注意していました。これは間違いです。
霊場会の先達経典龍光寺のページには「・・・・山門は鳥居である。この山門をくぐると仁王像に代わる守護役・狛犬が迎えてくれる」と書かれています。鳥居が山門ですので当然くぐらなければならないのです。
失礼ながらこの先達さんは「お寺」イコール「お葬式」「死」と考えておられるようです。
「お寺は生きている間に来る所です」と法然上人もおっしゃられています。
 お寺の鳥居といえば第七十九番天皇寺にも入り口に三輪鳥居という立派な鳥居があります。ここも見ていると中には鳥居をくぐらずに外をまわっている参拝者がいます。
もっともこの場合、参拝者の方が喪中でありあえて鳥居をくぐらなかったのかもしれませんが、通常の巡拝の際には鳥居をくぐってかまわないのです。これは平成28年、ご本尊の特別拝観があったとき天皇寺のご住職に直接お聞きしたことです。
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