住職日記

光善寺の住職ken-shinが、光善寺での日ぐらしや思いを気ままに綴ります。

若い僧侶の集まり

2012-02-23 06:53:24 | 日記
先日、浄土真宗青年僧侶連絡協議会主催の本山参拝に行ってきました。
毎年何らかの大会が開催sれているのですが、今年は本山参拝でしsた。全国から約80名の青年僧侶たちが集まりました。
そこで何をしたかというと、清掃奉仕です。
七百五十大遠忌法要の終わった境内地を清掃奉仕させていただくことによって、新たな気持ちで前に進んでいこうという意味合いがありました。
私もふだんは念仏奉仕団を引率しているので、ここまで念入りに清掃させていただくことは初めてでした。
しかし、清掃中に談笑することも多く、一般の参拝者の方から「がっかりした」という声も聞かれたようです。
若いお坊さんが布袍を着けて行動するという意味をもっと考えなければならないなあと思いました。

浄土真宗講座のご案内

2012-02-20 08:43:58 | 日記
光善寺では、「仏教を身近に感じていただくために」をモットーに、年1回「浄土真宗講座」なる法話会を開催しています。
通常の法座という形式ではなく講座として、少しでも敷居を下げることができればと思っています。
いよいよ今週、第3回目の浄土真宗講座が開かれます。どうか、どうか仏さまの教えを聞きにいらして下さい。

光善寺「第3回浄土真宗講座」
2月23日(木)【昼の部】午後2時から午後4時
       【夜の部】午後7時30分から午後9時
会場 波積町北 光善寺
講師 本願寺布教使課程専任講師
   大阪市法栄寺住職
    小林 顯英 先生
講題 「うちの仏さま、どうして立っているの」


なお、同じ小林先生をお迎えしてのご法座が、2月24日に温泉津町西楽寺さまで開催されます。23日に所用のある方、どうか西楽寺さまへもお参りください。

西楽寺百人会法座
2月24日(金) 午後1時半~



どうかお誘いあわせ、お参りください!

啐啄塾

2012-02-18 01:00:39 | 日記
昨夜、新しい勉強会の第1回目の例会が行われました。その勉強会の名前は、「啐啄塾(そったくじゅく)」といいます。
禅宗の言葉に「啐啄同時」という言葉があります。これは、たまごからひなが孵るとき内側から殻を割るのですが、実は同時に外側からは親鳥が殻をつついて割れやすいようにするという意味です。私が何かを行うということは決して一人ではできないということです。
この勉強会は何でもありの勉強会です。自分の好きな勉強をして、皆の前で問題提起をして、みんなで意見交換をするというものです。そして、私たちの学びの根底にはふるさとの石見のことをもっと知ろうということがあります。ふるさとのを知り、ふるさとを誇りに思えることによって私の人生が豊かになっていくと思っています。学ぶことを通して私がたくさんの方に支えられていることや石見の先人たちのはたらきを知る。「啐啄同時」に気づいていくのがこの勉強会なのです。

生死(せいし)と生死(しょうじ)

2012-02-15 06:46:49 | 日記
先日の初法座に普段お参りの方が何人か見られないなあと思っていたら、木曜日は診療所の診察日だったそう。波積地区の診療所の診察日は月・木の午後2時から3時までのみ。とても人が集中するんだそうです。
健康に関わることなので、無理も言えず複雑な思いを抱えてしまいます。まさに生死(せいし)の問題だからです。
仏教では生死を(しょうじ)と読みます。私が以前お聴聞したのは、生死(しょうじ)とは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の苦しみの世界を生まれ変わり死に変わりすることであるということです。つまり生死(しょうじ)とは苦しみの境涯を指すのだそうです。
仏法をお聴聞するということは、その生死(しょうじ)の世界を超えていく法に出遇うこと。そういう場が、ご法座です。
しかし、現実はお坊さんの話よりお医者さんの話の方が優先順位が高いようです…。

命日より報恩講

2012-02-13 06:47:56 | 日記
先日お参りしたお宅は、ご両親が亡くなられた後空家にしておられました。そのお宅は毎年2月11日に報恩講をお勤めしていたのですが、今年は連休ということもあって息子さん夫婦がお帰りになって11日にお勤めするというのです。なんでも、お母さんがお元気だったころは報恩講で作られたお寿司やおそば、ごま豆腐などたくさん送ってくれていたそうで、2月11日が懐かしいのだそうです。
「私たちにとっては両親の命日よりも報恩講の日が思い入れがあるんだ」
そのようにおっしゃっておられました。おふくろの味を思い出されるのでしょう。
そういったことを通して、ちゃんと伝わっていくんだなあと思いました。