住職日記

光善寺の住職ken-shinが、光善寺での日ぐらしや思いを気ままに綴ります。

2月の掲示板の味わい。

2018-02-05 08:27:02 | 法話
2月の掲示板の言葉です。

悲しくて泣く人の後ろにもそれを笑う人
それをまた笑う人
と悲しむ人
後ろから僕は何て言おう


私たちには「自己中」という煩悩があって、自分の物差しや都合に沿って生きています。
そして自分の物差しで物事を判断して優劣や好き嫌いを作りながら暮らしています。

何に笑うのか
何に悲しむのか

がそれぞれ人によって違ってくるのは、煩悩がある以上ある意味仕様のないことです。しかし、喜んでいる人とともに喜んだり、悲しんでいる人とともに悲しんだり他者に共感できるのもまた人間です。

他人のことを「関係ないね」として自分勝手に生きていくということは、とても寂しいことではないでしょうか。

私はどこに立って、後ろの人からどう見られているのでしょうか。そして私は前の人をどう見ているのでしょうか。
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お彼岸のご法話

2017-09-24 10:00:12 | 法話
お彼岸です。
太陽が真西に沈む年2回の日を中心に、前後3日間がお彼岸の期間です。
『仏説阿弥陀経』には、「従是西方過十万憶仏土有世界名曰極楽」と、ここより西方へ十万憶仏土過ぎたところに、極楽と名付けられた世界があると説かれてあります。
つまり、お彼岸の彼の岸(向こう岸)とは、西方にある極楽浄土を表し、先立たれた方々が仏さまとなっておられる世界なのです。

さて、人類が初めて死んだ仲間を埋葬したのは、10万年前のネアンデルタール人だと言われています(これには諸説がありますが)。
人類はそのような昔から、死んだ仲間を弔っていたのです。

また、ゴリラ研究の第一人者、京都大学総長の山極寿一先生によりますと、ゴリラは死を知っているが、死んだ後のことまで考えることはしないのだそうです。
仲間が死んだら悲しみ、大切に弔い、いのちの行方まで心を馳せていく。
これは人間の人間たる所以ではないでしょうか。

ロックバンドRADWINPSの「祈跡」という歌に、このような歌詞があります。

 死んだ後の世界ってのを 僕は本当に信じたいよ
 だって今日まで 幸せを知ることなく死んだあの人
 いつかどこかで会えるの?天国で報われるの?
 僕らはどこへいくの?どこにいけばいいの?

私たちは、私たちの周りで起こる「死」という現実を、どうしても受けとめね行かなければなりません。
だけど、死んだ後の世界に心を馳せることができるということは、「死」という現実から一歩踏み出せることになるのでしょう。

浄土真宗では、私たちはいのち終わった後、阿弥陀如来さまのはたらきによって、成仏させていただき、仏の国である極楽浄土に生まれていくいのちである、と受けとめます。
それは、死で終わりではない生を生きていくということです。

お彼岸にあたり、先立たれた方々のいのち、そして私のいのちと向き合いたいものです。
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