2月の掲示板の言葉です。
悲しくて泣く人の後ろにもそれを笑う人
それをまた笑う人
と悲しむ人
後ろから僕は何て言おう
私たちには「自己中」という煩悩があって、自分の物差しや都合に沿って生きています。
そして自分の物差しで物事を判断して優劣や好き嫌いを作りながら暮らしています。
何に笑うのか
何に悲しむのか
がそれぞれ人によって違ってくるのは、煩悩がある以上ある意味仕様のないことです。しかし、喜んでいる人とともに喜んだり、悲しんでいる人とともに悲しんだり他者に共感できるのもまた人間です。
他人のことを「関係ないね」として自分勝手に生きていくということは、とても寂しいことではないでしょうか。
私はどこに立って、後ろの人からどう見られているのでしょうか。そして私は前の人をどう見ているのでしょうか。
悲しくて泣く人の後ろにもそれを笑う人
それをまた笑う人
と悲しむ人
後ろから僕は何て言おう
私たちには「自己中」という煩悩があって、自分の物差しや都合に沿って生きています。
そして自分の物差しで物事を判断して優劣や好き嫌いを作りながら暮らしています。
何に笑うのか
何に悲しむのか
がそれぞれ人によって違ってくるのは、煩悩がある以上ある意味仕様のないことです。しかし、喜んでいる人とともに喜んだり、悲しんでいる人とともに悲しんだり他者に共感できるのもまた人間です。
他人のことを「関係ないね」として自分勝手に生きていくということは、とても寂しいことではないでしょうか。
私はどこに立って、後ろの人からどう見られているのでしょうか。そして私は前の人をどう見ているのでしょうか。