住職日記

光善寺の住職ken-shinが、光善寺での日ぐらしや思いを気ままに綴ります。

友人が亡くなりました。39歳でした。

2013-02-25 17:52:17 | 日記
親しく家族ぐるみでお付き合いをしていた友人が亡くなりました。39歳。5才と2才の子どもたちを遺して。
今日はご葬儀でした。お焼香に出たとき、遺影を見て泣けて泣けて仕方ありませんでした。
ちょうど1年前、私はこの友人についてこんな記事を書いています。

「友人がガンになった」

自分でよかったと話されたと書いています。自分のことより家族のことを考えていた、そんな方でした。

喪主であるご住職さんは最後のごあいさつでこんなことをおっしゃいました。
「この1年、この時が来るのをある程度は覚悟をしていた。しかし、いざ現実になって見るとそれまでの覚悟なんか吹っ飛んでしまった。私が作る覚悟なんかその程度だった。私はこれから私が作るはからいを超えていく教えを聴いていかなければならない」と。

浄土真宗は、生死の迷いを超えていく道を示しています。私のいのちの問題を解決する教えです。
私の問題として、聴いていかねばなりません。

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2 コメント

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Unknown (小柴隆幸)
2013-03-08 15:55:47
お彼岸お盆とお参りするご門徒さんのご息女が、広島の旦那へ嫁いだ先でガンの宣告を受けたと打ち明けてくださいました。お参りするたびごとに、放射線治療がこくこくとハードになる様子を伺います。お正信偈のあと、阿弥陀さまがもうここにいらっしゃるお話をさせていただくのですが、ご門徒さんは涙ながらに「娘と変わってやりたい。いけないとわかっているんだが、阿弥陀さまにお願いしてしまう、娘がたすかるなら、阿弥陀さまを裏切ってでもそちらへすがるだろう。しかしそうではないということが、南無阿弥陀仏だとわかった。娘の嫁ぎ先のご家庭にお参りになる広島のご院家さんも、そう仰っていました。住職、親鸞さまのみ教えは、苦しいですね」とお話しくださいました。
ぼくも二年前に最高の後輩を亡くして、こんなに苦しいものかと知りました。目を逸らしても、逃れきれぬ究極の窮地に、自らお出ましくださった如来さまは、苦しみを誤魔化したりはなさらないですね。しかし、苦しみのままには、終わらせんということが、この上なく心強いです。
もうじきお彼岸のお参りなので、思い出しました。死んで終わりじゃない人生って、嬉しいですね。ぼくが嬉しいですねっていえるような代物では、きっとないのでしょうが。
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小柴さま (ken-shin)
2013-03-10 08:57:23
コメントありがとうございました。
きっとこの方も最後の最後まで死にたくないとあがいていたのだと思います。でもそれでいいんだと思います。そしてご家族も。阿弥陀様のはたらきというのは最後まで安心してあがいてもいい(言い方が変ですが…)って言うことなのかなと思います。
「親鸞さまの教えって苦しいですね」のお言葉には身につまされるものがあります。でも安易に安らぎを求めるという教えよりはよっぽど喜びが深いのではないでしょうか。なんまんだぶ。
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