AWA@TELL まいにち

南山大学で、日本語教育に携わる人材の養成を行っています。ホームページも是非ご覧ください。

ありがとー

2005年04月07日 | どーでもいいこと
ブログやホームページを「見てるの私です」と教えてくれたYさん、ありがとう。

えっと、大学院入学おめでとう。この場を借りてもう一度。
よく考えたら、僕がどんな研究をしていて、どんなことに関心があるかなんて、実は徳島大学の学生さん、誰も知らないよね。だって専門の授業を持ってないんだもん。 日本語教育の歴史を研究していて、授業では日本語教育の現場に立って、って一見何のつながりもないようですが、これが大間違い。
戦前のように国策として国家予算を傾注して推し進めていた日本語教育は、ひと味違います。
むしろ、今の方が教授法を始め、教育観が退化しているような面もあります。だから、今でも十分勉強になり、参考になることが盛りだくさん。

ただね、そんな昔の資料を見て、最近頭の中にこびりついて離れなくなったのは、「いい先生って何だろう」ということ。

植民地でその先兵となって働いていた学校の教師。熱心に取り組んで、子供のためと思って指導して、子供たちはその先生が大好きになる。先生の言うことは間違いない、先生の言うことを聞いて喜ばせたいと思う。そして、その子は卒業してから志願兵となって戦場に向かう。

「教科だけ教える」というスタイルの教師像、日本ではあんまり受けないよね。生徒と一緒に悩み、考え、生活や就職に至るまでアドバイスをする。なんか、戦前と教師のやっていることは何にも変わらない。

根本に立つ理念、思想、教育の目的が違うと言えばそうなんだけど、ね。
ほら、留学してくる学生、その国によって事情がずいぶん違うでしょ?
韓国で働いていたときもそうだった。教えていた学生が、ある日、徴兵されたので明日から休学しますと言いに来るわけ。
もう忘れている人も多いでしょうが、96年に北朝鮮の潜水艦が韓国の東海岸に漂着し、山の中でゲリラ戦が行われたことがありました。そのとき、前線に立って戦ったのは、大学を休学して徴兵された若者たちです。僕が教えていた学生にはいませんでしたが、もちろん亡くなった人もいます。
もし、僕が教えていた学生が亡くなったらなんと言えばいいんだろうって。これも、そのときからずっと心の中に持っている宿題です。
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