AWA@TELL まいにち

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平成26年度外国人留学生卒業・修了懇談会について

2015年03月02日 | 日本語教育
今日は標記のパーティーがありました。

去年までは、写真を撮りまくっていたのですが、今年は結局一枚も写真を撮りませんでした。

年々、涙もろくなっていて、写真を撮っているうちに泣くんじゃないかと思ったり、写真を撮るよりもおしゃべりしようと思ったり、それよりも何よりも、テーブルに出されている料理に集中しなければと思ったり。


日本語を教えるという仕事、韓国で教えていたことを除いて、もう13年でしょうか。

FACEBOOKのおかげで、帰国した留学生とコンタクトを取ることもできるようになりましたが、

それでも、直接会っておしゃべりする機会は、もう二度とないかもしれない、そんなことを強く感じるようになりました。



すべての留学生が帰国してから「安全」で「平和」な日々を送るとは限りません。


戦乱の中にある国、休戦中の国、民族や宗教の対立がある国に帰る留学生もいます。

また、日本という国家との関係が悪くなり、「日本に留学していた」ことが彼らの人生のデメリットになる日も来るかもしれない、「日本に留学していた」ことを秘密にしなければならない日が来るかもしれない、そんなことを考えることも増えてきました。


それは、植民地での教育を研究しながら、日本の立場に立って社会を指導していた人たちが解放後、どのような扱いを受けるに至ったか、日本がその人たちに何をしたのか、また何をしなかったのかを知るにつれて、強く感じるようになっています。


日本の学生さんに卒業式の時、

 元気だったらまた会えるね。

と気軽に話すのとは違い、留学生には

 元気で。

というのが実は精一杯だったりします。


留学生の残りの人生の中で、この日本での生活が懐かしく思い出される日々であることを心から祈っています。





さて、今日は、

何人もの留学生にお礼を言ってもらいました。


うれしかったです。


僕は、

留学生が、日本で、日本の学生と同じように、人から尊重され、自分の好きなものを食べ、好きなところへ出かけ、寝ていたいときにはずーっと寝ていられて、本を読みたいときにはずーっと本が読めて、そんな生活ができるように整えることが仕事だと考えています。

それをかなえる一つの道具として、日本語を教えています。そして、日本の文化や、日本の状況についての情報も。


特別なことをしているという思いはあまりありません。

それは、外国の子供たちの支援活動も同じです。子供たちが、日本の子供たちと同じように、人から尊重され、知りたいことを知る機会があり、つきたい仕事に就ける自由がある、そんな社会を目指したいだけです。



日本社会が真に『強くなる』というのは、私のような仕事をする人がいなくても、上に書いたような日本に暮らす人が国籍、宗教、民族、信条に左右されず、楽しく自分が実現できる社会だと思います。



ああ、そうだ。

チューターしていた学生さんたち、日本語教育の学生さんたちに今日のパーティのこと、ずいぶん知らせたと思うんだけどな。あんまり来てなかったなー。

いろんな人とお話しするいい機会なのに。それは残念なこと、そのいち、かな。
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