story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

神がいた浜

2004年08月12日 15時01分00秒 | 小説
戦国の世は鬼の住む世。
人の命ははかなく、夢などはこの世にないものと、下々のものが思う世の中。
現世を捨て来世に望みをかけ、人々は念仏を唱えることしか知らぬ世に、けれどもその念仏の仏という字は、何のためにあるのかと問いかけも出来ぬ恐ろしい世の中。

嵐のようにやってきた織田の軍勢は、三木城一つを落とす為、周囲の集落を焼き尽くした。焼き尽くすだけではない。
鬼そのものの鉄の髭をつけた足軽どもは、村にある全てを奪い尽くし、あらん限りの凶行を働いた。それは戦に名をかりた強盗であり、暴行であり、強姦であり、殺人だった。

サトはもう、涙も枯れ果てていた
生き残ったものが、死体を焼いていた。
夏の日差しの中、それはのんびりとしたただの野焼きの光景にも思えた。

昨夜、いきなり、男たちが村を取り囲んだ。
村長は男たちと交渉をしようと出て行ったが、頭を下げて男たちに近づくも、いきなり鉄砲で撃たれ、その場で息絶えた。
村のものはそこから逃げようとしたが、すでに包囲され蟻の這い出る隙もない。
彼らの頭領風の男がなにやら合図をすると、男たちはいっせいに村人達へ飛び掛ってきたのだ。
村の男は全て首を切られた。手を合わせ、何故自分が謝るのかわからぬほどに男たちに命乞いをするものも容赦なく一刀の下に切られた。
村の女は侵略者達の餌食になった。そこら中で女の悲鳴が聞こえ、用がすむと多くの女は殺された。

サトはその光景を思い出したくはなかった。
サトは三木城がどこにあるのかは知らない。ただ、村を抑えている武士達のさらにその上の武士が三木という立派な城にいて自分達を治めているらしいことしか知らなかった。
侵略者達はまず、村の近くの寺を攻撃した。
寺は大きく、えらい坊さんがたくさんいたが、寺は全て焼く尽くされ、坊さん達が首だけになって河原にさらされたとき、サトたち村の者の運命は決まっていたのだ。けれども、寺が焼かれたのは三木のものを寺でかくまっていたからだと村長は説明した。
村は何百年も同じ時間が流れているようなところだった。
小高い丘や、森に囲まれ、普段はさして水量の多くない川が村のはずれに流れていた。
川のおかげで水に困らず、豊かとはいえないが、村には落ち着いた生活があった。
サトの思い出したくない光景が頭の中に次々と広がる。
裸足で血まみれの足の痛さも、あの恐ろしさに比べればなんでもなかった。

サトには両親と兄がいた。
その日は雨だった。畑も早めに切り上げ、家の帰ったばかりの頃、男たちが村にやってきたのだ。
自分達は今の戦と係わりがない・・村長はいつもそう言っていた。
織田が来ても、何か村から差し出すなり、合力をすれば、戦はせずとも済む・・村長はみなの前で確かにそう言っていた。
けれど、侵略者達は村を一気に侵略した。
サトの目の前で父と兄は槍で刺し殺された。サトは母がどこかへ拉致されていったあと、数人の男に囲まれた。
殺される・・彼女はそう思った。
男たちがサトの着物を剥ぎ取り、押し倒したときだ。
「俺にやらせろ!」
太い声がした。「頭ですかい・・これは上物なんですがねえ・・」
「俺が目をつけていた娘だ。この娘はおれのものだ」
「頭ぁ、こいつだけはわしら足軽の楽しみでございますからね」
「他へ行け、それとも俺と斬り合いでもするか・・」
サトの近くにいた男たちは何かぶつぶつ言いながら、後からきた男に譲ったのか彼女から離れた。
サトは目を瞑っていた。
その男が彼女の着物に触れた。怖かった。
けれど、男は、サトのはだけていた着物を合わせると、その場に座り込んでしまった。

「この二人は家族のものか?」
男がサトに問い掛けた。怖くて目があけられない。身体が震える。
「安心しろ・・お前には他の者に手を触れさせない」
男は言ったがサトには言葉が出なかった。
「大丈夫だ・・目をあけろ」
男が叱るように、けれど静かな声で言った。
目を開けた。
父と兄が死体となって横たわっていた。けれど、首がなかった。
「この二人は家族のものか?」
男はもう一度訊ねてきた。
サトは声が出ず、首を縦に振って頷いた。
「申し訳のないことをした。今は戦国の世、こうなるのも前世からの宿業ととらえてくれ」
男はサトの背を起こし、彼女の前で謝った。
「誰かあるか!」
男は家の玄関から道に出て怒鳴った。雨が激しく降っている。
「は!」若い男の声がした。
「わしは疲れたがゆえ、今宵はここにて休む。皆の者にも明日は早いゆえ、さっさと飯を食らって寝ろと言っておけ!」
「確かに承ってござります」「うむ、それと、ここにも食うものと酒を持ってきてくれ」
「は!」若い男の声は去っていった。
雨が降りしきる。古く簡便なつくりの家は雨漏りが多い。
「朝になればここからどこかへ行くと良い・・どこかに行くあてはあるのか?」
男は自分を殺さない・・・サトはようやくそのことが判ってきた。
「かあさまは、どこへ連れて行かれたのじゃ?」
初めて言葉が出た。
「ここから連れ出された女か・・」「そうじゃ、うちのかあさまじゃ・・」
男はサトを見た。ため息をついた。
「多分・・殺されておるであろう・・そう言うことに決まっていたからの」
サトは声を上げて泣いた。けれどもすぐに男がサトの口を塞いだ。
「大声を出すな・・お前はわしが楽しむためにとりあえず命を助けていることになっている・・」
サトの口を塞いだ男の手は大きく、暖かかった。
「わしはお前には何もせぬ。じっとして、わしの言うとおりにしていれば明日の朝には逃げられるようにする」

男はサトに焼き米をかじらせてくれた。サトが無心に焼き米を食う間、男は酒を呑んでいた。
男は甲冑を外さず、そのままの格好で座っていた。
食事が終わると、サトは男の言うように男の脇で横たわっていた。家族が死んだ悲しみが広がってくる。

朝、ようやく夜が明け始めた頃、男はサトを連れて村を出た。
寝ずの番に就いていた男の部下達は、何も言わず、見て見ない振りをしているかのようだった。
近くの峠の上でサトは離された。
「お前はわしの惚れた女に似ている。そいつも戦に巻き込まれて死んでしまったがな・・」
男は始めて軽く笑顔を見せた。
雨は上がり、雲の間から太陽が顔を出す。男の顔にも日の光が当たる。
髭で覆われているが、案外、若い男だった。
「娘・・名はなんと言う?」
「サトや」
「わしは戦のあとにもここを通る。この度の戦がすめば・・三木が落ちれば、また会おう・・」
男は懐から路銀を出して少し分けてくれた。焼き米の入った袋もくれた。
そして、早く行けと、サトを峠から追い落とすようにしてそこから去ってしまった。

峠を降りて、しばらく歩いた。川に沿って、焼けた村を見てしばらく行くと寺の前に出た。
サトの村にある寺とは宗旨の異なる、こちらも大きな寺院だった。
けれども寺はここでも焼かれていた。大きな塔のあったところは瓦礫とすすばかりになっていた。坊さん達が後片付けをしていた。
「サトやないのか?」
年配の坊さんが彼女を見て声をかけてくれた。
「峠向こうのサトやないか・・どうや、そっちはやられたか?」
「坊さん・・うちのこと知ってるんか?」
「そらのう・・おまえの母様はこの村の出やさかいのう・・」
そういえば、何年か前、母とこの寺に法事に来たことがあった・・サトは急に抑えていたものが噴き出したかのように泣き出した。
坊さんは、片づけの手を休めてサトの話を聞いてくれた。
昨日のこと、自分だけが助けられたことを、前後の脈略も見境なしにしゃべった。
「峠の向こうは、全滅かいなぁ・・織田の者ども、無茶をしよるなあ・・」
坊さんは溜息をつきながら空を見上げた。
「お前を助けた武者は・・どうしてお前だけを助けたのやろうかな?」
「うちが・・昔惚れた女に似とるって言いよった」
「ほう・・もしかしたら、お前にだけは神様がついてたのかも知れぬの」
「神様・・そんなものがあるんか?」
「そうや、御仏を信じるものを守るのが神様の役目や・・人の姿をしている神様もあれば、風や雨の姿をしている神様もいるのや」
「うち・・仏様は信じとらへん・・父様も母様も、一生懸命信じておったんや・・なんで、神様がみんなを助けなかったのや?」
坊さんはサトの顔をじっと見た。坊さんは涙を流していた。
「宿命があるからなあ・・人間には自分の宿命は見えんのや・・サトにはサトがすることがあるのかも知れぬなあ・・」
サトはまた泣き出してしまった。「仏様も神様も信じられんわ・・」と言いながら・・

サトは坊さんの紹介で寺から一里ほど離れた漁村の家で手伝いをしながら住まわせてもらうことになった。
漁村の仕事は多く、朝早くから日の暮れるまで、村の女達とともに働いた。
時折襲い来る悲しみと恐怖は、仕事に精を出すことで忘れることを覚え、とにかくよく動いた。
男が漁に出ている間、女は畑や田を作り、干物を作り、魚をそこからまた一里ほど離れた町へ売りに行った。村には活気があった。
どういうものかこの村は、織田に攻められても死者を出さずに済んでいた。
水軍に通じる漁師達は情勢に敏感で、いち早く織田軍への合力を申し出ていたからかもしれないし、町との取引で銭を扱うことに慣れている村のものが織田軍に銭を贈って制札を確保していたからかもしれない。
織田軍はこの村では示威行動だけですぐに通り過ぎたという。

秋が過ぎ、冬がきた。
冬の厳しさはサトの村とは比べ物にならなかった。海からの風が吹きすさぶ浜辺では身体の芯まで冷えた。けれどもサトはいつも仕事を率先してしていた。
サトの生活が落ち着くと、彼女は年頃相応に美しくなっていった。
彼女を娶わせる話も村人の間では囁かれていたけれど、サトはまだ心にわだかまりがあった。
気持ちが落ち着いてくると自分を助けた男をもう一度見たいと思うようになったが、そのことは誰にも言わないでいた。
「三木城が落ちるらしい・・」「そりゃぁ・・織田に楯突いて勝てるはずはなかろうて・・」「別所殿ともあろうお方が、時勢を読み間違えたとはねえ・・」「毛利の後ろがあると、信じとったんやろうなあ」
噂が村人達の話題にのぼった。三木城は、その頃兵糧攻めにされ、幾日も持たない状態になっていた。
サトは、三木城が落ちたら会おうといった男を思い出した。
男が自分に会いに来る気がしていた。

正月二十日過ぎ、そろそろ梅の花が咲く時期、男たちを送り出したあと、サトはしばらく浜に佇んでいた。
雲が厚い。灰色の雲間から日の光が斜めに差し込んでくる。
一条、二条、日の光は灰色に染まった海を、あちらこちらで照らし始める。
ふと西のほうを見た。遠くの島がはっきりと見える。
浜辺を片足を引きずりながら歩いている人の姿が見える。
町の人?それとも今日の漁を休んでいる村の人?
男はゆっくりと近づいてくる。
サトの胸が何故だか高鳴る。
胸の鼓動は大きくなる。
「サトか・・」男は彼女の姿を認めてそう言った。
サトは立ち尽くしていた。
「サトか・・きれいになったなあ・・」
サトは男を見据えたまま問い掛けた。
「お武家様は神様かい?」
男はサトの前で立ち止まった。「わしか?わしは神じゃあないぞ・・」
「坊さんがうちの神様かもと教えてくれたんや」
男はサトを見て、そして笑った。
「神様か!こんな汚い神様か!」笑いながら、サトの肩を持った。
「わしは、お暇をいただいた。もう、血に酔うのは御免こうむる。浪々の身の神様か!」
サトは自分の肩を持つ男の手にあの時と同じ暖かさを感じた。
「何で、うちだけを助けた?」
男はしばらく思案しているようだったが、「わからぬ、ただ、お前の顔を見て途端に戦が嫌になったのかも知れぬ」と答えた。
「父様と母様はなんで助けてくれなんだ」
男は彼女の肩から手を離して海を見た。
「間に合わなかったのだ。早馬が来て、村は攻めるなと・・村には制札が出ておると、けれど、そのときはもう、わしの手のものが村を襲っているときだったのだ」
「あんたは、鬼か?」
サトは目に涙をためてそう聞いた。
「鬼かも知れぬ・・いいや、まさしく鬼であろう、わしもわしの手の者も・・鬼になってしまった人間は止められない。わしにはお前を助けることしか出来なかった」
サトは声を上げて泣き出した。海に向かって思い切り泣いた。
いつのまにか近くに村の女達が来ていた。女達は遠巻きにしてみていた。
「すまぬ、許せとはいわぬ、わしを斬ってくれ」
男はサトの前に刀を置き、土下座をした。サトはそれでも泣き続けていた。
泣き続け、涙も出なくなり、ふと見ると男はまだ土下座をしたままだった。
「サト、わしを斬れ!わしは己が失敗を、ここで償いに来たのだ」
サトは目の前においてある刀を取り上げた。鍬を持つように刀を持つと、男に向かって振り下ろした。
近くで見ていた女が悲鳴をあげた。
刀は男を外れて、砂に突き刺さった。
サトは肩で息をしていた。刀から手を離した。
「早く斬れ!」男はせかすように言う。
「うち・・神様は斬れぬわ・・」サトはそう言うと、刀を砂から抜いた。
男は今度は胡座をかき、刀を持った。
「腹切りもごめんだ・・うちはもう、血は見たくない」
サトは男にそう言うと、海のほうを見た。
「お武家様は神様や、うちには神様や・・」
今度は男が声を上げて泣き出した。
この娘は俺の神だ・・男はそう思った。
サトはずっと海を見ていた。
男は座ったまま、サトの背中を見ていた。
波は荒く、いつしか雲が晴れ、青空が広がっていた。

















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