おはようございます。
秋田県横手市十文字町の宅配弁当、オードブル「紅玉」の『たかはしもとい』です。
営業日時については下の方の営業日カレンダーをご覧下さい。
昨日は3月11日。
あの日から13年目でした。
忘れもしないあの日あの時、私は野菜農家と共に話し合いをしているところでした。
突然、奇妙な携帯電話の通知音と「緊急地震速報」のショートメール。
その直後から地面が波打つような地震があり、社員に火の始末と外への退避を告げました。
お客様がいないか確認しに2階に上がった後突き上げる様に強くなり、建物が軋む音と壁に入った亀裂に悪夢を見ているような感覚を抱きました。
いつ止むのか心配になる程長い揺れに紅店長と共に顔を見合わせ、揺れが治るのを待っていましたが、おそらく2〜3分あるいはもっと揺れていた様な気がします。
その後の津波による甚大な被害は、今も私たち一人ひとりの胸の内に哀しみとして生々しく残っています。
私もそのときに亡くした仲間がおり、そのことを思い返すと何ともやるせない気持ちが湧いてくるときがあります。
後日、その最後の時を目撃した人々の話を聞くにつけ、自分の住む地域を、自分の会社を守ろうとして、最後まで持ち場に力を尽くした彼らを自らは忘れず、更に後の人にもバトンを渡すように伝えていきたいと思います。
当店では発災時間の14時46分に社員全員が被災地に向かい黙祷を捧げました。
発災から今日に至るまで、私には忘れる事ができない事があります。
当時の報道で両親を失った子供の存在を知りました。
両親がいなくなってしまったことに泣きじゃくっているその様子をみて、私に何かが出来ないかと考え、まずは募金を始めました。
信頼できる寄付先として「あしなが育英会」を選び、東日本大震災遺児への支援として寄付することとして、2011年に生まれた子供が20歳を迎える2031年まで続けようと決めています。
昨日は一年分の募金を集めて寄付してまいりました。
総額52,528円もの寄付が寄せられていたことから、二つに分けて、半分を「あしなが東日本大震災遺児支援募金」に、もう半分を今年の元旦に発災した能登半島地震の方々へ「日赤令和6年能登半島地震災害義援金」に、それぞれ寄付をさせて頂きました。
依頼人は「紅玉」と書かせて頂きましたが、これはご寄付下さった皆様一人ひとりの志しを代表させて頂いたものと心得ております。
ご寄付下さった皆様に感謝申し上げるとともに、
東日本大震災をはじめとする様々な自然災害の中で亡くなられた全ての方のご冥福をお祈り申し上げます。
文末に、特に、最後の瞬間まで会社と陸前高田の街を守ろうとした山十の伊東進太郎君と酔仙の村上芳郎常務に、同志として、深くご冥福をお祈り申し上げます。
安らかにお眠り下さい。
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